「NHK音楽祭2011 ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団」
指揮:アントニオ・パッパーノ
ピアノ:ボリス・ベレゾフスキー
NHKホール 座席:1階L6列8番
ヴェルディ: 歌劇《アイーダ》シンフォニア
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
アンコール:
「サン=サーンス/ゴトフスキー:《白鳥》」
「チャイコフスキー:四季より10月《秋の歌》」
-休憩-
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74《悲愴》
アンコール:
プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲
ポンキエッリ:歌劇《ジョコンダ》から「時の踊り」
4日前聴いたバイエルン国立管弦楽団によるブルックナーの重苦しい音が耳に残っていたところへ、イタリアの目の覚めるような明るいカンタービレが飛び込んできた。
ヴェルディが歌劇《アイーダ》のイタリア初演で前奏曲のかわりに使用した「シンフォニア」。
「スプマンテ」の高級酒「フェッラーリ」のパールのような細かな泡がシャンペングラスに立ち上ってくるように、どのパートの音もきめ細かく明晰に聞え、その音色はイタリアのシルク織物のように繊細で鮮やか。クラリネットの伸びやかな音の素晴らしさにパッパーノは奏者を起立させ讃えた。
リストのピアノ協奏曲第1番を弾くベレゾフスキーは今回初めて聴いた。
このピアニストはすごい。リストを得意とするだけある。巨体から繰り出す弱音から強音までのダイナミックが桁違いに大きい。どのフレーズもなんと滑らかなこと!同時にまろやかで羽が生えたように繊細で軽やか。
座席の位置か、あるいは彼の技術からくるのか(おそらくこちらだ)、ピアノの音が天井から滝のようにオーケストラの上に降り注いでくる。その音がオーケストラとブレンドされ、極上の音が届けられる。
さらに心を揺さぶられたのはアンコール。サン=サーンス「白鳥」の流れるような細やかな指使い。チャイコフスキー「秋の歌」での懐かしい調べに涙を誘われる。
休憩後のチャイコフスキー「悲愴」も予想通りイタリアの明るい陽光の下で聴くようだ。
第1楽章第1主題の旋律の軽やかなこと。第2主題はまるで、ソット・ヴォーチェで歌われるオペラ・アリアだ。展開部直前のppppppのクラリネットも暗くなくむしろ爽やか。
展開部の一撃。ティンパニストが実にカッコいい。風貌はスキンヘッドでマフィアのボスのよう。それでいて愛嬌があって憎めない。千両役者のように大見得を切りながらマレットを操る姿は聴衆の人気の的だった。(コンサート終了後、ステージから引き上げる彼にソロカーテンコールのような拍手と歓声が送られていた。)
金管もうまい。再現部のフルオーケストラのクライマックスの音がまったくうるさくない。クリアなブラスの音が突き抜けてくる。
第2楽章、「アレグロ・コン・グラチア(早いテンポで優雅に)」という指定通りの演奏。主部を奏でるチェロの伸びやかな歌とレガート、そのクリーミーな香りと絹のような肌触りに酔う。
第3楽章でのリズムの切れのよさはイタリアのスポーツ・カーでぶっ飛ばすような爽快感がある。輝かしい金管と打楽器の活躍は、カーニバルのような雰囲気。
この楽章、チャイコフスキーがイタリアにきてインスパイアされた「タランテラ」が行進曲とともに使われていることが、見事な符号を見せる。
第4楽章アダージョ・ラメントーソの主部は、「甘い悲しみ」を追憶するかのように始まる。中間部ホルンの三連符の上で歌われる第2主題は、傷ついた心を慰撫するかのように、どこまでも甘く歌われるが、その歌はさらに激しさを加え、苦く苦しいものに変わっていく。鋭い痛みに耐えかねてもだえる。タムタムが痛みを断ち切るように響き、トロンボーンとテューバが弔いの歌を歌う。
コントラバスが心臓の鼓動のようなリズムを刻みながら、徐々に弱っていく。冥界に去っていく姿を追うように曲が静寂のなかに消えていった。
《悲愴》のあとのアンコール2曲は極めて珍しい。それだけ指揮者パッパーノもオーケストラも出来に満足したのだろうし、NHKという電波で日本中に自分たちの演奏が届けられることへの意欲が反映されたものだろう。
プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲の洗練ぶりはなんと表現したらいいのだろう。
先日のメトロポリタン歌劇場管弦楽団のアンコールと較べると違いが際立つ。
やはりニューヨークとローマの伝統の違い、本場ものの味の違いというべきか。劇的であるだけでなく、きわめて繊細。
ポンキエッリ:歌劇《ジョコンダ》から「時の踊り」はデザートのジェラートのように爽やかな甘さ。
今夜は三ツ星のイタリアンを堪能させてもらいました。
アントニオ・パッパーノ©IMG Artists