思い出のコンサート 大野和士 東フィル マーラー「復活」(2011年8月29日) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


 

コンサートの再開が少し見え始めてきました。もうしばらく、特に印象に残った過去のコンサートの思い出を続けます。

2011829日月曜日午後7時 サントリーホール 座席:2C列31番

41回サントリー音楽賞受賞記念コンサート。 ホールに皇太子殿下の臨席あり。    

指揮:大野和士 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ソプラノ:並河寿美 アルト:坂本 栄

合唱:国立音楽大学、東京オペラシンガーズ

合唱指揮:田中信昭、永井宏、宮松重紀

 

グスタフ・マーラー 交響曲第2番 ハ短調 「復活」

 

大野和士の音楽に圧倒された。コンサートで、これほど凝縮した音楽が奏でられることは奇跡のように思える。大野の集中と緊張は、最初から最後まで一瞬たりとも緩むことがなく、一音一音に魂が込められていた。個人的には「復活」の興奮や高揚感のかわりに、もっと静的で、記憶に刻まれるような深い感動が残った。一方で、大野への盛大な拍手とブラヴォ、二度のソロカーテンコールは昨年のプレートル&ウィーン・フィルへの聴衆の熱狂的賛辞を思わせた。

 

プログラムに寄せた大野の言葉がある。『「復活」・・・この二文字に全身全霊をこめて、皆さんと共に、祈りをささげたいと思います。』。「祈り」は東日本大震災の犠牲者の方々へささげられたものと考えられる。今夜のコンサートの趣旨は「祈り」だ。「復活」の喜びでも、勝利でもない。

 

「復活」の合唱が高らかに歌い上げられ、オーケストラが大音量で終わっても、指揮棒が下りるまで、しばし沈黙が保たれたのは、大野の思いが聴衆の心に届いたためだろう。それだけに、聴衆のひとりの大声でのブラヴォのフライングは残念。

 

演奏をふりかえってみよう。

1楽章冒頭、東フィルのチェロとコントラバスが刻む主題の深い低音の響き、金管の切れ味鋭い音。主題を指揮する大野の指揮棒は巨大なアークを描く。大野の気迫が会場を圧し、演奏者も聴衆も棒の先に全ての意識が吸い寄せられていくようだ。練習番号20からの全オーケストラの強奏はホールの壁が震えるばかりに凄まじい。

 

2楽章のゆったりとした弦の響きがたとえようもなく柔らかい。練習番号5からの主部展開部でのチェロの歌わせ方が出色。12からの主部第2の展開部での何でもないような弦のピチカートの表情づけにも大野は全身を使い指揮する。そこから生まれる音楽は生き生きと輝いており、大野と東フィルの深い信頼の絆を感ずる。

 

3楽章スケルツォ冒頭のティンパニの一撃にたじろぐ。滑らかに歌うクラリネットをはじめ、総じてこの夜の東フィルの管は、金管も木管も渾身の力で演奏して見事だった。

 

4楽章「原初の光」。坂本栄の音程がやや不安定。トランペットの弱音は難しいが、音程を少しはずす。短くともこの楽章は聴く人に深い感動を与えられるはずなのだが

 

休みなく第5楽章に入る。

大野和士は、ひたすらに音を掘り下げていく。最弱音から最強音まで、常に緊張を強いるその音楽は、聴くものにとっては身体を貫かれるように痛い。闘争と敗北、過去の記憶と現在の葛藤が交互に現れてくるようでもあり、息つく間がない。練習番号15の先、行進曲で大野は思い切り重心の低い音を求める。しかし東フィルの弦はパワー不足。22からのオルガン左右のドアが開き、風に乗って聞こえてくるようなバンダの演奏は完璧。26からのクライマックスで大野は限界を超えるまで音を求め続けた。

 

P席に座った合唱団がそのまま「復活」の合唱を始める。テンポはきわめてゆったりとしている。合唱は引き締まり問題はない。

 

最初に「静的で、記憶に刻まれるような深い感動が残った」と書いたように、「よみがえるだろう、私の心よ、一瞬のうちに!おまえのたたかいとったものがおまえを神のみもとへ運ぶであろう」の本来感動に打ち震えるはずのクライマックスと全オーケストラの総奏を聴き終った後も、高揚感とは少し異なる感情が残っていた。

 

大野和士はソロ・アンコールで舞台に出てきたとき、天井に向かって祈るような姿勢を見せた。その祈りの気持ちに貫かれた凄絶な「復活」だった。

大野和士©Kazushi Ono