飯森範親 東京交響楽団 ラッヘンマン、アイネム、リーム、R.シュトラウス  | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

125日・サントリーホール)
 入りは6割くらいだろうか。半分が現代曲なので、一般の音楽ファンには敷居が高いのかもしれない。それでも、あえてプログラムに乗せる東京交響楽団と飯森範親の意欲的な姿勢と意地に敬意を表したい。

 飯森&東響は、昨年ツィンマーマンの歌劇「白いバラ」で衝撃を与えたが、今年のラッヘンマン、アイネム、リームは、そこまでの衝撃はなかった。

 

開演間、飯森とソプラノの角田祐子がプレトーク。

『ラッヘンマン「マルシュ・ファタール」は命がけのマーチの意味。ディズニー・マーチのよう。シュトゥットガルト州立歌劇場のニューイヤー・コンサートでカンブルランにより201811日に初演された。リスト「愛の夢」や、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の引用がある。バベルの塔が崩れ落ちるようだ。本当は今日が日本初演の予定だったが、カンブルランが西のほうのオーケストラ(京都市交響楽団)でアンコールに演奏してしまった。ピアノ版は水戸芸術館で日本人の奥さんが行った。』

 

最後のほうにレコードの針が跳んで同じ個所を繰り返すような部分があるが(最低7回は繰り返す指示がある)、そこで飯森範親は指揮台から降り、客席に移動、座席に座った。飯森は戻ってきて最後に、吹き出しを吹いて終わらせた。その形はナチスの旗にある黒鷲の形に見えた。
 

  youtubeに初演のさいの音源があがっている。

https://www.youtube.com/watch?v=u-gI9u-bjHo

  

2曲目アイネム「《ダントンの死》管弦楽組曲」(日本初演)は、1947年20代のダントンが書き、ザルツブルク音楽祭で初演した歌劇。原作はドイツの革命詩人ビュヒナーが1835年に書いた戯曲。フランス革命の立役者ダントンがロベスピエールによりギロチンにかけられる物語。管弦楽版は4つの曲からなる。

youtubeの音源

https://www.youtube.com/watch?v=ClRy8i4jOQI

  

飯森は、この作品のあと、休みなしにリームのソプラノとオーケストラのための情景「道、リュシール」を演奏すると語った。この作品もビュヒナーの戯曲《ダントンの死》に基づいている。リュシールはダントンの同僚デムーランの妻の名前。3人とも死刑になるが、夫が処刑され、狂気に陥ったリュシールが最後に「国王万歳!」と叫ぶところで終わる。

 

アイネムとリームは、緊張感に満ちていたが、既視感も感じた。「何だこれは?!」という驚きにまでは至らなかった。

特にリームは昨年ツァグロゼク&読響で「Ins Offence」(第2稿)や4年前モイツァ・エルトマンが歌う「オフィーリアは歌う」を聴いていたからかもしれない。

 

後半のR.シュトラウス《家庭交響曲》は、ノットに鍛えられた東京交響楽団の好調ぶりを示す熱演。瑕もあったが、ホルン、トランペット、トロンボーンは健闘、木管も子供の主題を吹くオーボエ・ダモーレの最上峰行の素晴らしいソロをはじめ、オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットなど、積極的な演奏だった。弦の音はみずみずしい。

 

飯森の指揮は明快で、流れのよいものだが、表情のパターンが同じように感じられるところもあった。

コーダは少しもったいなかった。せっかく壮大な最後を築こうとしたのに、最後の最後で力が抜けてしまった。力を蓄え、ここぞとばかりに、エネルギーの総てを注いで欲しかった。