クリスティアン・ティーレマン ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマン:交響曲全曲演奏第1日 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

 素晴らしいオーケストラ、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団!シルクのような滑らかな弦、陰影と余韻のある木管、いぶし銀というたとえがぴったりの金管、これらが一緒になり奏でるハーモニーは奥行きがあり豊か。第2ヴァイオリンの艶やかな響きは、第1ヴァイオリンに負けない勢いがあり、14型対向配置の良さを徹底的に味わわせてくれる。これこそオーケストラの理想だ。

 

 ティーレマンはこの世界の宝ともいうべきオーケストラを得て、どういうシューマンを創ったのか。それは『光り輝く壮麗な神殿』だった。しかし、堂々とした威容を誇る音楽は果たしてシューマンが意図したものなのだろうか?

 

 ティーレマンのシューマンは「心」がない。「情」がない。「語りかけるもの」がない。シューマンの夢見るロマンや、人間的な陰影がない。男性的で力強く立派だが、内容が伴わない演説を聞かされているようだ。理路整然としたその演説は、時に演技過剰というような山場をつくる。例えば、第1番「春」の展開部から再現部にかけての堂々とした盛り上がりがそれだ。しっかりタメをつくり、「これでどうだ」と大見得を切る。一瞬惹きこまれるが、すぐに醒める。

 ただ、第4楽章展開部の最後、ホルンの重奏とフルートのカデンツァの素晴らしい音を聴かされてしまうと、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団に免じて、ティーレマンの一方的な演説も許してあげたくなる。

 

 第2番も第1番の延長線上の演奏だろうと予想したが、見事にそのとおりだった。第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは、レナード・バーンスタインが亡くなる直前の1990年、PMFオーケストラとリハーサルを始める前に『さあこれから人間的に深い音楽をやろう』若者たちに告げた深みのある楽章だ。ティーレマンの指揮は音響としては見事だが何と空しく響いたことだろう。オーボエのソロ、クラリネットのソロの美しさは一体何のためにあったのか?

 ティーレマンは壮大に第4楽章を盛り上げ、ホールの喝采を勝ち得た。立派な演奏を成し遂げたドレスデン国立歌劇場管弦楽団には最大の拍手を送りたいが、ティーレマンにブラヴォを言う気持ちにはなれなかった。

 

写真:クリスティアン・ティーレマン ()Matthias Creutziger