シルヴァン・カンブルラン 読響 マーラー:交響曲第9番 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

420日、サントリーホール)

 マーラーの交響曲第9番と聞くと、バーンスタインのように情念があふれるばかりに表現された演奏が頭に浮かぶ。あるいは、ヤンソンス&バイエルン放送響の限りない優しさで包み込むような演奏も聴いた。

 

 カンブルランは、それらとは異なる。明るく幸せな、色彩感に富むマーラーの第9番だった。カンブルランはこの曲の何を訴えたかったのだろうか。正直なところ、よくわからない。

 

 そういえばカンブルランのマーラーをいつ聴いたのか、コンサート日記を調べたところ、2013318日に同じサントリーホールで交響曲第6番「悲劇的」を聴いていた。そのときのレヴューはこう書いていた。
明るく見通しが良いマーラー。複雑な「悲劇的」がわかりやすく提示されたカンブルランの指揮。マーラーの暗い情念、不気味さ、この世のものとは思えない世界はあまり感じることはなかった。良く言えば前向きで明るい肯定的なマーラーかもしれないが、個人的には肌が合わないマーラーだった。

やはり、今回とまったく同じ感想を書いていた。5年たってもカンブルランのマーラーの特徴は変わらないということがはっきりした。

 

カンブルランのマーラーは「生きていることは楽しい。人生をもっと謳歌しよう。」というポジティブな解釈にも思える。例えば第1楽章展開部で、ヨハン・シュトラウスのワルツ《人生を楽しめ》が引用され、曲想が穏やかになっていく部分など、まさにシュトラウスのタイトル通り、幸福な音楽になる。第2楽章のレントラー風舞曲、第3楽章ブルレスケも明るく色彩感に包まれる。第4楽章アダージョですら、まるで映画音楽のようにメロディーが美しく奏でられる。最後「死に絶えるように」ヴィオラが最後の最弱奏を弾き終わり、音が消えてから15秒の静寂が続いた。ここでも悲しみや、諦念はなく、響きの美しい絶対音楽のように思えた。
 場内からはブラヴォも多く、カンブルランへのソロ・カーテンコールがあった。

 

個人的には、前半のアイヴズ《ニューイングランドの3つの場所》のほうが、カンブルランの持ち味が生きるような気がした。第2曲のコラージュ的にさまざまな音楽がまじりあう「コネティカット州レディングのパトナム将軍の兵営」など、目の覚めるような鮮やかなタクトだった。

 

写真:シルヴァン・カンブルラン(c)読響