新国立劇場 ワーグナー「パルジファル」レビュー | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。





新国立劇場 ワーグナー「パルジファル」

1011日(土)14時 新国立劇場 オペラパレス


メインの歌手陣は熱演。単に歌唱の素晴らしさだけではなく、演技が自然でこなれている。特にグルネマンツのジョン・トムリンソンの重厚で押し出しのよい声と舞台上の存在感は群を抜く。カーテンコールでも一番多くブラヴォをもらっていた。クンドリーのエヴェリン・ヘルリツィウスの第2幕での迫力ある歌唱と女性らしさが出た演技も出色。アムフォタスのエギルス・シリンスもグリングゾルのロバート・ボーグも余裕のある歌唱に安定感がある。パルジファルのクリスティアン・フランツもきれいなテノールで健闘していたが、長丁場のためか第3幕で若干疲れが出ていたようだ。

飯守泰次郎の指揮はゆったりとテンポをとる堂々としたもの。2012年二期会創立60周年公演でも聴かせたワーグナーの世界にたっぷりとひたることができる指揮を披露した。ただ肝心のオーケストラがいまひとつ鳴らない。弦の響きが薄く金管にも芯の強さがない。舞台上の歌手の力演とオケピットの厚みのない音とのアンバランスが気になった。歌に酔った後、オーケストラだけの部分になると酔いが冷めてしまうことが何度もあった。管弦楽にもう少し厚みと力強さがあったなら、今回の公演の印象もずいぶんと違ったものになっていたと思う。


パルジファルには「救世主」の言葉はあっても「イエス・キリスト」という名前は出てこない。最後の晩餐や十字架磔と思われるエピソードからイエスを想像するのみだ。

今回のハリー・クプファーの演出は、仏教の僧侶三人を何度も舞台に登場させる。彼らはキリスト教徒とみなされる人々の葛藤や対立を常に見守っている。前奏曲においてはジグザクに配置された光の道(膨大なLEDを使用)の先からそのふもとに横たわるアムフォルタス、クンドリー、クリングゾルをじっと見ている。第3幕最後はパルジファルが聖杯も聖槍も捨て、三つに切り裂いた法衣をグルネマンツ、クンドリーに着せ、光の道を僧侶たちの先導により歩んでいくところで幕となる。それはまるでキリスト教を捨て仏教に帰依するさまを表すようである。いやそのままかもしれない。


クプファーはインタビューで「敬虔なキリスト教徒だったワーグナーは仏教に強い関心を持ち、『パルジファル』でキリスト教と仏教という二つの宗教を倫理的なレベルで結び合わせたのです。」と語っている。

しかし「救済者に救済を」という合唱の歌詞とともに、キリスト教の矛盾を仏教の世界に解決させようとする演出は、宗教に優劣をつけるようで、好きになれなかった。ヨーロッパでもしこの演出を見せたら果たしてどんな反応が返ってくるだろうか。おそらくすさまじいブーイングになるのではないか。

クプファーは仏教がキリスト教よりも優れていると言おうとはしているのではない。「ふたつの宗教を倫理的なレベルで結び合わせた」だけだ。それでも実際に舞台で見る印象は仏教の優位性が強く感じられ、また演出をクプファーに依頼した日本側に対する阿諛(あゆ)が透けて見えるようで釈然としないものが残った。


指揮:飯守泰次郎

演出:ハリー・クプファー

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

合唱:新国立劇場合唱団、二期会合唱団

アムフォタス:エギルス・シリンス

ティトゥレル:長谷川顯

グルネマンツ:ジョン・トムリンソン

パルジファル:クリスティアン・フランツ

グリングゾル:ロバート・ボーグ

クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス

ほか