【乱読NO.3364】「図書館を使い倒す! ネットではできない資料探しの「技」と「コツ」」千野信 | D.GRAY-MANの趣味ブログ

D.GRAY-MANの趣味ブログ

ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

 

イメージ 1

 

[ 内容 ]
「ネットにはありませんでした」。
この程度で調べものをしたつもりになってはいないだろうか?
北朝鮮の詳細な経済事情は?
非公開の行政資料を手に入れるには?
地元の近代化に尽くした偉人は?
GoogleやYahoo!ではけっして探せない価値ある資料が眠っているのが、実は図書館なのだ。
「週刊ダイヤモンド」記者として資料探しに精通する著者ならではの、ビジネスツールである図書館を使い倒すための「技」と「コツ」。

[ 目次 ]
序章 なぜ「図書館」に調べたいものがあるのか
第1章 資料は足で探せ-資料は地元に眠っている
第2章 資料探しのプロに学べ-資料は棚に眠っている
第3章 行政資料を手に入れろ-資料は役所に眠っている
第4章 消えゆく資料を探せ-資料は時間の向こうに眠っている
第5章 全国お薦め図書館ガイド
終章 図書館にクレームをつける

[ 問題提起 ]
気持ちはわからぬでもない。

ダ・ヴィンチ・コードは上下本ともに予約者が279人です。

これではいつになっても読めそうにありませんが、市立図書館は人気のある本を何冊も持っています。

ダ・ヴィンチ・コードは上が45冊、下が44冊あります。

しかし、ここで責められるべきは図書館利用者の「せこさ」と、何よりも司書たちの視野の狭さではないのか?

最近図書館は盛況のようである。

少なくとも近所の月島図書館はそうだ。

高齢化やデフレの影響もあるのかも知れない。

本中毒としてはうれしい一方、このような話を聞くとほとんどの人にとってまだ図書館は「無料マンガ喫茶」の延長なのだな、と残念に思う。

なにより残念なのは、日本ではまだ図書館の司書の地位も能力も低いこと。

申し訳ないけどほとんどの司書*1、レンタルビデオ屋のアルバイト程度のことしかしないし、出来ないようなのである。

[ 結論 ]
具体的な書名を挙げて、それが現在どういう状態になっているかを調べることは出来ても(これは今やネットでだって出来る)、漠然と「こういうことを調べたいのですが」と言って適切な本を案内してくれるレベルの司書にはほとんど巡り会えない。

もっとも中坊の時にも半分しか学校に行かなかった私も、往時図書館に入り浸っていた。その時の司書のみなさんには感謝している。

明らかに登校時間中に平気で入り浸っている私に「学校に逝け」などという説教臭い事は一切言わず、リクエストした書籍を何百冊と買ってくれ(何千冊かもしれない)、そして帰るころには家族名義も目一杯使って借りた段ボール箱一杯の本とともに帰宅するのが私の日課だった。

当時の図書館がなければ、今の私はなかったことだけは断言できる。

これが合州国だと一転する。

かの国のLibrarianはまさにエリートだ。

"The Cockoo's Egg"の中に、Cliff Stoll*2が司書の世話になるシーンが出てくるが、あれと似た経験を私も何度もした。

「困ったら司書に聞け」というぐらいその地位も能力も高いのだ。

典型的なアメリカ人の家には以外と本が少ない。

それだけ見て「アメリカ人は本を読まない」という人もいるが、それはとんでもない勘違い。

図書館が充実していて、より使いやすいので日本より本を買う必要が少ないだけだ。

雑誌とペーパーバックを除くと、日本と比べて本が割高ということもその一因でもあるのだが。

休館日もほとんどなく、夜遅くまで空いていて(大学のそれだと24時間空いているところも結構ある)、ずっと気前よく本を貸してくれる合州国の図書館は、言葉の次に差を感じたところだ。

私が貧乏学生だった当時、日本はバブルのまっただ中で、アメリカはここ10年の日本のような雰囲気だったが、図書館、特に大学のそれに関しては「かなわねぇ」と下を巻いた。

なにせ日本の本まで日本の普通の図書館より充実していたぐらいだ*3。

これは人民狂和国での話だが、HarvardとMITに立ち寄った際には、両校の共通図書館システムへの登録を、赤の他人である私も薦められたのには驚いた。

その時借りても返却できないのでその場は遠慮したが、ほんと、借りたい奴には誰にも貸すのである。

ちなみにこのHarvard-MITの図書館(群)は、蔵書量で全米で二番目、教育機関では最大であり、日本の国会図書館の倍を超す蔵書を誇るが、敷居の低さに至っては比べるのもあほらしい。

ちなみに人民狂和国のそれは教育機関では2位。

ここも国会図書館より蔵書が多い。

その意味で、今の日本の図書館はさんざん世話になっておりながらケチをつけるのも何だが、もっと工夫が欲しいといつも思う。

エアコンの設定温度はさておき、図書館を巡る状況は、中坊の私が入り浸っている頃とは相当変わっているはずだ。

不況による予算削減、マンガ喫茶の対等、ネットの出現....図書館の代替手段は増えている。

ダ・ヴィンチ・コードなんぞAmazonやBook Offにまかせておけばいいのだびんち。

それよりも禁帯出にしてもいいから本の種類を充実させ、開館時間を延長し、そして何より司書の能力を高めた方がずっと世のため人のためというものだ。

あと、これは異論も多そうだが、図書館をもっと「にぎやかな」ところにしてもいいのではないか。

これはまだアメリカの図書館もやっていない。

大声を張り上げるのは慎むべきだが、子供の笑い声ぐらい聞こえてもいいではないか。

子供用のスペースのない図書館はない一方、あの静寂さが親が図書館から子供を遠ざけている一因でもあるのは確かだ。

[ コメント ]
もちろん静寂を必要とする人のために、読書室を用意した上のことでもあるのだが。

図書館こそ、米百俵の最初の一俵のなのではないか?

[ 読了した日 ]
2010年1月17日