【乱読NO.1384】「「若者論」を疑え!」後藤和智(著)(宝島新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
まったく、最近の若い奴は…とお嘆きの貴方へ、「若者がダメになった」は大ウソです。『「ニート」って言うな!』の著者が徹底論破。
リアルな実像に迫る若者への取材ドキュメントも収録。

[ 目次 ]
巻頭対談「若者はなぜ誤解されるのか?」(なぜ若者はバッシングが起こるのか? 「酒鬼薔薇聖斗事件」と若者論の変化 ほか)
第1章 「少年犯罪急増」のウソを見破る(「鬼子」にされる若者たち なぜ若者論を問題にするのか? ほか)
第2章 ケータイ・ゲーム「有害論」に物申す!(インターネットが若者をダメにした? 「ケータイを持ったサル」-「小学生の悪口」レヴェルの言説 ほか)
第3章 格差、ニートは自己責任か?(恣意的に解釈される統計 働く意欲のない「ニート」は急増しているのか ほか)
第4章 「前提」を疑うことから始める(犯罪と格差を生んだ「新しい日本人」 傲慢な「心の専門家」たち ほか)
ブックガイド(基礎資料 総論 ほか)

[ 問題提起 ]
「イマドキの若者は」という若者バッシングはいつの時代もあった。

しかし、「少年犯罪は急増/凶悪化/低年齢化している」「インターネット/ケータイ/ゲームが若者をダメにした」「ニート/大卒フリーター問題を見ても、若者は就労意欲が低い」等々どれを取っても、若者のこころの弱さ、未熟さを憂う昨今のそれは、あまりに極端だ。

メディアを席巻するそうした言説を、「何を根拠に?」と眉ツバで聞いていた人もいるに違いない。

もちろん、「若者論」への反証がなかったわけではない。

阿部真大『搾取される若者たち』雨宮処凛『生きさせろ!』赤木智弘『若者を見殺しにする国』などは、当節の若者特有のメンタリティーや、格差問題が経済構造の問題であることを説明してくれていた。

とはいえ、それでイマドキの若者への違和がすべて氷解したわけではなかった。

そこに登場したのが本書である。

根拠が曖昧だったり、論理的破綻がある若者論を「俗流若者論」と呼び、自身のブログで批判的検証を続けている若き論客の初の単独著作だ。

“バッシングがきちんとした統計に基づいた論説ではなく、論者の直感を都合良く裏付けするような根拠ばかりを持ち出して語っている”ことに憤る著者は、1984年生まれ。

若者批判のターゲットである世代から、直接どんな論駁が聞けるのか、期待して読んでみた。

本書は、少年犯罪急増論、ケータイ・ゲーム有害論、格差・ニートの自己責任論についてそれぞれ章立てになっている。

[ 結論 ]
現在の若者を取り巻く言説に対して、社会学などの学問的資料や実際の統計をつぶさに参照し、その誤謬を指摘していくスタイルなので、現在の若者批判の何が問題なのかがわかりやすい。

たとえば「凶悪化する少年犯罪」という認識は、若者の人口減少を加味しても検挙件数は格段に減っていること、強盗事件の増加は、平成9年に実施された「少年非行総合対策推進要項」によるトリックに過ぎないと看破する。

この要項により、「窃盗+傷害」として扱われていた事件は、「強盗(強盗傷害)」として検挙されるようになった。

その結果、強盗だけでなく殺人や放火なども含む〈凶悪犯罪全体の検挙人員が約1.6倍に増加したのです〉と著者は言うのである。

また著者は、「理解できない事件」「過去にはなかった事件」と報じられる少年犯罪も、似たような過去のケースを具体的に挙げ、〈その事件は「過去では考えられなかった事件」ではない〉と述べている。

〈ましてや、現代の若者の「心の闇」や「キレやすさ」を象徴していると言いきることは、慎むべきではないでしょうか〉

先のような事実誤認は是正されるべきだし、事件を理解しようともせず、「心の闇」ですべてを片付けようとする姿勢は糾弾されて然りだ。

ただ、著者のデータ解読によって数値的な過りが正されても、腑に落ちない部分は残る。

著者は、「社会的背景や事件の残忍さが表れないから、統計はあてにならない」と主張する人に対し、〈このような経験主義的な物言いには、大きな疑問符が突きつけられるべきでしょう〉と言うのだが、統計を軽んじることも統計だけを論拠にすることも、同じように何かを見落とすのではないかと私は思うからだ。

たとえば1年前に起きた福島・会津若松市の母親殺人事件。

報道によれば、犯人の高校生は切断した母親の頭部を持って自首した。

少年はそれを運ぶ際に乗ったタクシーの運転手にカバンのしみを指摘され、「ココアです」と答えたという。

かつての日本にこの母親殺しと似た事件があったとしても、しみがシートにうつることを咎められた少年が淡々とココアだと言い訳する不気味さは、統計だけでは見えてこない。

若者の変化や世相の傾向といった“統計では読み取れない一面”は、そうした突出した事件に視点を向けることで、十分に一般論として語りえるのではないだろうか。

それでも著者は、「個別的な事件を一般化するな」「一般論を語るなら統計の裏付けがあってこそ」と主張するかもしれないが。

ついでに言うと、いくつかの指摘の中に、データの並べ方や拾い方で気になるところがあった。

そのひとつは、現代の若い親たちのモラル低下の一例として引き合いに出される「給食費未納問題」について。

著者は、〈給食費の納付率は約99.5%であり、平成16年の時点の国民年金の納付率の約63.6%(社会保険庁のデータによる)に比べると、かなり高い数値〉だというのだが、給食というサービスを現に受けている上での未納と、不祥事続きの社会保険庁への不信感、本当にもらえるのかという制度そのものへの疑問もあっての未納では、意味が違う。

また、格差論については、著者は、昔から格差はあったし、実は1970年代半ば以前のほうがひどかったと考えている。

その根拠のひとつに挙げているのが生活保護の被保護者数の変化だ。

〈近年は増加傾向に転じたとはいえ、被保護者数については昭和50年代以前のほうがはるかに多いのです〉

被保護者数は平成7年に底を打った後増え続けているが、生活保護の水際作戦によって増加はある程度抑えられてしまっている。

そうした現状が、先の指摘につながっていると思われるが、それは単に“被保護者数”の増減だけでは語れない部分をばっさり無視していることになる。

少年犯罪に関するデータの読み解きに比べると、いささか甘い。

本書の巻頭対談で教育社会学者の本田由紀氏から、

〈もしこれが修士論文や博士論文の指導だとしたら、私は「社会変化と経済変化→不安→若者バッシングというのは、すでに言われてきたことじゃない? そういう図式に則して現象を個別に拾いあげるだけでいいの? 現実に対する全体的な理解の面で、あなたのオリジナルな点はどこにあるの?」と言ってしまうと思う〉

とツッコまれているように、著者は本書で、現代の若者が晒されている謂われなき評価を「これは違う、あれも違う」と指し示すことには成功しているものの、それを翻すだけの新しい視点やそれに抗うための対策を提示しているわけではない。

よって全体としては、間違った思い込みをあげつらって終わりという「それ止まり」感が私には残り、食い足りなかった。

もっとも著者の意図は、そもそもそこにはないらしい。

〈私は若者をおとしめている政財界や言論人を、やや俯瞰的な立場から、統計などを使って撃っていく役割だと思っています。また、私の示しているデータや論文が「運動」側の人たちの役に立つのであれば、ぜひ使ってほしい。本書もそういった「武器」として使われるのが理想ですね。私は「武器屋」であると思っています〉

そういう意味で、著者の筆が冴えるのは、若者の問題行動を、未発達の脳や骨などの身体や、虚飾された精神分析理論などに原因を求める「身体/心の専門家」たちの危うさについて触れている箇所だ。

たとえば、大学には普通に出席していても、恋愛やアルバイトにそれほど熱心ではない大学生を“準ひきこもり”とカテゴライズする教育社会心理学者や、昔に比べて固いものを食べなくなったことが歯の発達や骨格の形成に異常をきたし、無気力な若者が増加したと結論づける歯科医師。

その言説に、科学的データによる実証は示されていないという。

「身体/心の専門家」たちが自らの経験則のみで語るあまりに非科学的な論説が、ときにメディアでお墨付きを与えられてしまうこと、現在ではそれが教育や行政、治安などの場において深刻な影響を持つようになっていることを、著者は憂う。

考えてみれば、若者をめぐる通俗的な報道や言説によって、割を食うのは若者自身だ。

一部の大人たちは「まことしやかな若者論」を楯に取り、それ見たことかと若者を責め立てる。

それに影響されて、若者自身も必要以上に自分を貶めていく。

こうした負の連鎖はもとより、経済構造の問題にまで自己責任論をかぶせられる謂われはないのだ。

根拠なきバッシングの餌食にならず、自分と社会のありようを冷静に捉えること。

そのよすがにするのが、本書のいちばんの活用法かもしれない。

[ コメント ]
最後になるが、いったい何の意味があるのかと訝った点がひとつ。

著者はある言説を否定する際に、「ある精神科医は」「ある現代思想家は」と名前を伏せて紹介するのだが、章末に出典が出てくるので、結局正体はバレる。

それはイヤミというより、なおざりの無げの情けに見えた。

次作はぜひストレートに名指しで、モノ申してほしい。

それが「武器屋」の心意気というものではないのかな?

[ 読了した日 ]
2009年1月27日