[ 内容 ]
著者は法隆寺の鬼と呼ばれた、故西岡常一棟梁の下で、薬師寺金堂、西塔の建立に携わりながら、宮大工の修業を積む。
西岡棟梁の身の回りの世話を約6年間続け、社寺建築の技法、棟梁としての仕事の差配、人の育て方など、多くのことを貪欲に吸収する。
そこで学んだ人を育てる要締は「教えない」ことである。
手取り足取り教えるのではなく、「なぜ、こうなるのだろう?」と、弟子がわかりたいとウズウズしてくるのを「待つ」ことが大事なのだ。
覚えの早い子と遅い子がいるように、人にも木と同じく「癖」がある。
その癖を生かしながら人を育て、使うことが名棟梁の条件であり、その知恵は、現代の日本人にも多くのことを教えてくれる。
[ 目次 ]
1章 大工の徒弟修業
2章 西岡常一棟梁の教え
3章 奥深き「社寺建築」の世界
4章 木の癖、人の癖を読む
5章 棟梁の仕事、棟梁の器
[ 問題提起 ]
1995年の震災で半壊した実家は、私が生まれたときで築50年は経っていたように思う。
屋根を支える太く曲がった梁を、祖父は自慢にしていた。
子供の頃は見てくれのわるい大木にしか見えていなかった。
大人になっても愛着を抱くことはなかった。
いまは妙に懐かしい、というか、しっかり見ておけばよかったという思いが募っている。
部屋の真ん中に立つと、抜け落ちた天井から空を見上げることができた。
それでも梁はびくともしていなかった。
忘れていたこのときの景色が、本書の中の「木の癖、人の癖を読む」の章を読んでいて浮かんできた。
育った場所によって、木には癖が生じる。
斜面の木は、風を受け、幹は捩れてしまう。
木は必死に元に戻ろうともするわけで、ひねくれた木ほど目がつまっていて、強度に優れている。
だから梁や桁にするのに適していて、田舎作りの家では曲がった部分を梁に使っていたという。
うちのジイサンの自慢もホラではなかった。
本書は、宮大工とは、どんな仕事かを綴ったものだ。
[ 結論 ]
著者は岩手県遠野市に生まれ育ち、中学を卒業後、家大工の修行をし、21歳のときに故郷を出て、「法隆寺の鬼」の異名をもった宮大工の名人、故・西岡常一棟梁のもとで6年間、経験を積んでいる。
職人仕事の基本は、教わるのではなく技を盗むことだ、とはよく言われることだが、なぜ師匠はなかなか弟子に仕事を教えようとはしないのか。
常々の疑問に対する答えは、本書を読むとわかりよい。
〈私どものような職人の世界は、学校とは違いますから、手取り足取り教えることはありません。棟梁や先輩大工は手本になるだけで、そこからどれだけのものを学び取れるかは、弟子の心構え一つです〉
一言でいうと、受け身ではダメ。
知りたいと思う本人の貪欲さがないと、教え込もうとしても身につかないということ。
呑み込みの早いのがいいわけというわけでもない。
職人仕事というものは一回、手本を見せても、すぐにそのとおりにできるものでもない。
手本通りにできなくて当たり前。
できないのは、どうしてなのか。
考え、真似てみる。
真似るために、盗み見る。
じっと見ている。
技が身につくまでには時間がかかる。
現場でいちいち説明している時間は先輩や師匠にはないし、これが大工の仕事ですというふうに解説することは手間だし難しい。
小さな技の集積によって成り立っているのが職人の世界。
ノミやカンナの刃の研ぎひとつをとっても、コツを掴むまでに長い時間を要するからだ。
〈研いだカンナの切れ味を試してみたくなるのは当然で、「早くあんなふうに削ってみたいなあ」とうずうずします〉
師匠が弟子に仕事を教えるのに重要なのは、タイミング。
先輩がかっこよく立ち働く姿を目にし、雑用ばかりを任されてた弟子が、うずうずしだす。
このとき、うずうずしている=やる気が高まっているのを見計らい、「お前、天井の板を削ってみろ」と師匠は声をかける。
「うずうず」していないときに何を教えても、吸収しようとしないということでもある。
職人を育てるのは「教えない」のが基本、というのは、ここから導き出されたもの。
著者が西岡常一のところで働くにいたった経緯はこうだ。
大工としてひとり立ちした後、社寺の仕事がしたいと岩手から奈良へ。
薬師寺金堂の再建現場を目の当たりにして、いっそう思いを募らせ、「ここで働きたい」と西岡を訪ねている。
このとき、「あんな大きなお堂の建立を手がける棟梁となれば、さぞかし凄い宮大工なんだろうな」とは思ったものの、著者に西岡に関する知識はなかった。
訪ねて行ったものの、なかなか門をくぐる決心がつかず、家の前を何度も行ったり来たりしたという。
もし、このとき著者が岩手からわざわざ出てきたのではなかったら、あるいは西岡のことをよく知っていたら、臆したまま踵を返していたのかもしれない。
西岡のもとで仕事をすることが叶った著者が、いちばん勉強になったと語るのは、「お茶出し」である。
朝5時半に起床し、まず掃除。
棟梁が二人の副棟梁と朝夕に仕事の段取りを打ち合わせする場に、お茶の用意をする。
新人の役回りだったこのお茶出しを、後輩が入ってきてからも著者はぜったいに他人に譲らなかったという。
〈棟梁のそばにいれば、匠の技や人使いの妙など、実に多くのことが学べたからです〉
段取りの打ちあわせなど聞き流せば、自分には直接は関係のないことだ。
しかし「うずうず」した耳には、どれもが興味深い情報だった。
それがタダで、間近に目撃させてもらえる。
名人のふだんの仕事ぶりを拝見できるどころか、理解力次第で、頭の中まで覗けるシアワセな場でもある。
しかし、これをシアワセと感じるのは「うずうず」があるからで、「うずうず」がなければ損なことをやらされていると思うだけだ。
著者が、西岡棟梁から学んだ大事なことのひとつに挙げているのが、現場でミスが発生したときの対処の仕方である。
責任者が、下で働く者のミスだと弁解しようものなら、西岡は「なぜ職人はミスしたんや。
おかしいやないか」と切り返した。
こうしたときの棟梁は、口調は温厚ながらも曖昧さを許さない。
何が問題だったのかを徹底して振り返らせる。
「そうでないと、また同じ間違いを犯すんやないか」。
相手が副棟梁であっても「そら、どういうことや」と、容赦はなかった。
原因究明の徹底。
これは著者が後に工務店を経営するようになって引き継がれてきたことだという。
ミスが発生したとき、部下に責任をなすりつけるのは論外であるが、「すべては私の責任です」と頭を下げて部下を庇うのも、間違いだと著者はいう。
同じ失敗を繰り返さないためには、逃げずに正面からミスと向かい合うことを避けてはならない。
痛い思いの反省があれば、二度と同じ轍を踏むことはないばかりか、かえって将来の自信にもなっていく。
高価な床柱を一本ダメにした、思い出すたび冷や汗がでるような自らの失敗を顧みての教訓である。
西岡棟梁から引き継いだものといえば、もうひとつある。
仕事を任せた職人が「どうでしょうか」と判断を仰ぎに来たときには、「お前は、どう思うんだ」と聞き返すことだ。
〈「自分はこれでいいと思う。棟梁、どうですか」、そう自信を持って私の意見を聞くようでなければ、とてもではないけれど、心配で任せられない。だら、「お前は、どう思うんだ」とあえて問い返すことで、決断を促し、責任の重さを自覚させたわけです〉
「うずうず」にも通じることだが、自分の考えがなければ、どんなアドバイスも意味をなさない。
逆に、自分で決断したという自覚が伴えば、やり遂げたあとには自信がます。
つまり、ここで語られる「人育て」の知恵は、なんら特殊なものではない。
[ コメント ]
タイトルから、奇抜な人心操作術を期待するとアテは外れることになる。
どの仕事にも通じるものだ。
魅力なのは、語り方だ。
大工仕事や職人の世界に興味がないと退屈だと思われかねないが、仕事の手はずや社寺建築の歴史についての専門知識なども、不思議と厭きない。
著者自身が、長い時間をかけて習得した技や、知識を楽しんでいることが伝わるからだろう。
これも人心操作の基本というか、読者の「うずうず」を引き出すようにして綴られている。
[ 読了した日 ]
2008年12月31日