【乱読NO.1040】「関西赤貧古本道」山本善行(著)(新潮新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
入口の均一台を見逃すな。
絶版文庫を探せ。
古雑誌の山に向かえ。
検印紙も魅力のうち。
書き込み本を無視するなかれ。
古書目録は面白い。
古本祭りには攻略法がある。
ネット・オークションに参加したら。
いつか売る日はやってくる。
…自慢じゃないが、金はない。
しかし誰より古書が好き。
この三十年、365日古書店通い。
ねらうは安い、面白い、珍しい。
まさに関西流儀の超絶技巧。

[ 目次 ]
第1部 基礎篇(それなりに作法はある 入口の均一台で大発見 ほか)
第2部 応用篇(古い雑誌の山に向かう 上林暁まとめて十八冊 ほか)
第3部 実践篇(古書目録の楽しみ 古本祭り攻略法 ほか)
第4部 番外篇(私のこれくしょん―ベスト5 京都大阪古書店案内)

[ 問題提起 ]
日本人は何でも趣味が高じると、その芸を「道」にまで昇華しないと気が済まないらしい。

「茶道」「華道」「剣道」「柔道」など、道が付けば単なる芸もどこか奥深いニュアンスが感じられる日本の伝統文化といったイメージがある。道を究めて修行して精神的な高みへ目指すといったものだろうか。

では、何でも「道」を付ければ高尚なものとなって来るのだろうか。

果たしてそうか。

というのも、本書のタイトルを読んで、やや違和感を覚えたからである。

古本趣味が高じても果たして「道」につながるものになるのか。

こうした疑問は、本書を読んでいくうちに氷解する。

というより氷解させられると言っていいかもしれない。

[ 結論 ]
何といっても、一年三百六十五日のほとんどを古本漁りに精を出す著者のなめるような古本への偏愛はもはや「道」それも「古本道」というしかないからである。

しかも、著者のいいところは、何も希少価値のある古本を探す、投資の対象にする、絶版本ばかりを蒐集するという「オタク」的なものではないことである。

基本的に著者は古本屋も愛するが、新刊の書店にもよく出掛ける。

それは本自体が好きなのと、本を読むというまっとうな行為を通して、読みたい本を探すことが基本になっているからである。

だから、古本を買う資金がそれほどない著者は、古本屋でも入り口に主にある「均一台」にしがみつく。

均一台は、百円や二百円など廉価に値が付けられたコーナーであり、意外とそこに拾い物があると力説する。

実際に、そこのコーナーでゲットした絶版物や希少本の紹介もしている。

そこに挙げられているのが必ずしも高価な古本ではないことにも、著者のスタンスがよく表れている。

それにしても、古本マニアの世界は奥が深い。

これまで、神田神保町を中心とした東京圏のマニアの世界はある程度知っていたが、関西のマニアは初めてといっていいぐらいない。

その意味で目からウロコの本だった。

京都・大阪の古本マニアも、すごいキャラクターを持った人物が少なくないようだ。

これを読んでいて、評者は「浪速の食い倒れ」を想起してしまったが、まさにこの地をはうような病膏肓(やまいこうこう)ともいうべき執念は「食い倒れ」の精神である。

「赤貧」とは言い得て妙である。

[ コメント ]
百円、二百円の均一台の世界だけを熱く語れるのも、これまた大阪人のコテコテぶりを感じさせてくれる。

古本の値打ち物を探すためのノウハウやハウツー、著者の秘伝なども開陳されているが、それよりもこの精神こそ見習うべきだろう。

[ 読了した日 ]
2008年10月8日