【乱読NO.854】「伊勢神宮 東アジアのアマテラス」千田稔(著)(中公新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
伊勢神宮は、日本文化のなかでももっとも日本的なものと思われている。
しかし、その誕生から現在まで、伊勢神宮はその姿を大きく変えている。
祭神であるアマテラスオオミカミのそもそもの姿とは何か?
また、伊勢神宮は千三百年を越える年月の流れのなかでどのように変容していったのか。
道教の隆盛や蒙古襲来など、東アジア世界全体の歴史・文化・社会の潮流に目を配りながら、その祖像と変遷を検証する。

[ 目次 ]
第1章 アマテラスの旅路(「アマテル」神社の存在 「アマテル」と「火明命」 ほか)
第2章 中国思想と神宮(なぜ伊勢に鎮座したのか 海の神仙境 ほか)
第3章 神国の系譜(「神国」ということばの由来 『愚管抄』の神国観 ほか)
第4章 近代の神宮(天皇親拝 東京遷都と伊勢行幸 ほか)
第5章 植民地のアマテラス(植民地における神社と教会のちがい 海外神社の誕生 ほか)

[ 問題提起 ]
東アジア全体の歴史との関連を踏まえつつ、神道、なかでも伊勢神宮とそこに祀られる天照大神の姿の変遷を追っている。

天照大神信仰のルーツ、道教の神道への影響、近代・戦時の神道などいろいろな側面から、神道についてアプローチしているのはおもしろいが、その幅を広げてしまったためかやや散漫な印象が残った。

それでも、ひとつ興味深く読んだ内容があった。

「非寛容という伝統」という段の文章からの引用である。

「日本という国は中世以来、自国を神国として近代に至るまで中国の土着的な宗教である道教に連なる信仰のあり方を邪宗とみなし、さらにヨーロッパ・アメリカから宣教されたキリスト教の受容を拒絶する姿勢を一貫してとりつづけてきたことがわかる。<中略>神道と国家の緊密なしばり、古代の祭政一致的内容は、世界宗教としての普遍性とは遠くかけ離れたところにある。」

[ 結論 ]
戦前、戦中を通じ、日本は民族支配のために神道を信じることを占領国の国民に強要した。

けれども表面上は現地の人々は神社にお参りにしたけれども、信じることはなかったと書いてあった。

神道の精神は日本人にとっては文化のベースとなっているあたりまえのものであっても、文化的に成り立ちが異なる別の国の人にとってはそれは普遍的に信じられる宗教には見えなかったのであろう。

筆者はこれを「非寛容の伝統」と表現していた。

また筆者は折口信夫は、神道はキリスト教のように人類全体にとって普遍的な宗教であるべきとして、神道の宗教化を語ったと書いている。

神道の宗教化とは何とも不思議な感じがしますが、神道は教典といったものはほとんどない。

その「精神」は連綿と続いているが、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランといったような文書にはなっていない。

言語化をしなかったため、その精神は日本人の文化との結びつきは強いものの、人類全体が共有できる普遍的なものにはならなかったと論じている。

読んでなるほどと納得した。

「キリスト教を信じている」「仏教を信じている」というのは聞きますが、「神道を信じている」とはあまり聞かない。

信じるというには何か言語化されたものが必要なのかもしれない。

神道の精神は日本人としてとてもしっくりするものなのですが、信じるというよりは日本人として生きている精神のバックボーンであるとか、そういうもののような気がする。

また、アマテラスの来歴の考察から伊勢神宮の成り立ちが書かれているが、道教の影響を受けていた古代の祭祀がアマテラスという「太陽の宗教」に習合した結果成立したということらしい。

「天皇」という語は、道教の最高神である天皇大帝(てんんこうたいてい)に由来し、北極星を象徴化している。

これが日本では日の御子すなわち太陽の子供と同一化されているというのだ。

またアマテラスの神体を鏡としているのも古代道教の影響という。

さらにアマテラスに道教の最高の仙女である西王母の影響をみる説もあるという。

道教の世界観では東西南北とその中間の東北、東南、西南、西北を含めた八方位があり、天皇が納める八方の国が神国として認識された。

これは『日本書記』神武紀にある「八紘をもって宇(いえ)とする」という表現につながる。

アマテラスは、また本地垂迹説によれば密教の大日如来と習合した。

それによれば当時「大日本国」という表記は、「だいにほんこく」ではなく、「大日の本国」すなわち「大日如来の本国」と読まれた可能性が高いという。

当然のことだろうが、日本の神様もさまざまなところから影響を受けて成立しているということだ。

それにしても大陸から伝来した道教や仏教とあからさまな宗教的対立なく融合してしまうというのは宗教と宗教という関係を考えるとかなり特異なことである。

これには著者も指摘しているように、神道が祝詞以外には目立った言説がなく、当然のことながらその宗旨の思想的言説がないことから簡単に融合したのであろう。

もし神道に明確な思想的言説があったならば、伝来したほかの宗教との「対話・討論」といった言語的コミュニケーションが行われ、その後の日本の思想も変わっただろう。

そうした対立が実際にはなかったために、日本では幸いにも激しい宗教戦争がなかったのかもしれない。

そして不幸なことには言語で理路を尽くすという態度が育たなかったのかもしれない。

[ コメント ]
近代日本において韓国や台湾で神社の建設や神道の普及が図られたが、キリスト教とは全くことなり、成果をあげることなく敗戦と共に捨てられたのもかしこき神をただ崇め奉るという「宗教」にすぎなかったからであろう。

伊勢神宮が遥か遠くの存在に感じるのもおそらくそのために違いない。

[ 読了した日 ]
2008年8月2日