【乱読NO.853】「心の起源 生物学からの挑戦」木下清一郎(著)(中公新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
心はどのようにして誕生したのか。
この難問を解くキーワードは「記憶」。
記憶を持つことで過去と現在の照合が可能となり、それまで瞬間のみを生きてきた生物が時間と空間を獲得した、と著者は仮説を立てる。
さらには快・不快という原初の感情が芽生え、物事の因果関係を把握することで、本能によらず自らの意志で行動する自由を得た―。
これまで人文科学の領域とされてきた「心」に、生物学の観点からアプローチを試みる。

[ 目次 ]
第1章 問題のありか
第2章 心の原点をたずねる
第3章 「世界」とは何か
第4章 心のはたらく「場」
第5章 心の世界を覗きみる
第6章 心の未来はどうなるか

[ 問題提起 ]
「心とは何か」という問いは古来より人を悩ませてきた。

心は身体と並んで人の様々な活動の源泉であるが、決して人の「心のまま」にはなり得ない矛盾に満ちたものである。

しかもその心を知るのもまた心であるならば、人は「心とは何か」という問いにどう立ち向かえばよいのか。

こうした困難な問題を見据えながらも、決して恣意に流れることのない透徹した論理で「心とは何か」という謎の解明に挑戦するのが本書である。

[ 結論 ]
生物学を専門とする著者の方法は、もとより形而上学的に心を論じるものではないが、他方で近年の脳科学や認知科学が用いる経験的・論理的方法に留まるものでもない。

生物学の知見に裏づけられた大胆な仮説を提示することで、心と心の所産である人間社会・文化を、物質世界・生物世界とは次元の異なる一つの世界として位置づけることを試みている。

今日では、心の働きの物質的根拠が脳を中心とした身体に存することを疑うことは困難であるし、また心の働きは、生命現象の一環である以上、遺伝子の制約から自由ではありえないようにも見える。

しかし、物質世界と生物世界の間の不連続のありようを熟知した生物学者である著者は、物質世界・生物世界・心の世界の各々を構成する基本要素や基本原理の検討にもとづいて、生物世界と心の世界の間にも不連続を想定し、心の世界の特異性とその成り立ちを明らかにしてゆく。

また、仏教が心を中心課題として発展した宗教・思想であるという意味でも大変興味深く、その論旨には仏教の心の哲学に通底するものを感じた。

自然科学と人文学を橋渡しする試みとして、自然科学を学ぶ人にも人文・社会科学や芸術学を専攻する人にも面白く読める本であると確信する。

終章「心の未来はどうなるか」は若い世代に向けられたメッセージになっていて、あくまで明晰でありながら同時に人間愛に溢れた語り口が著者の人柄を髣髴とさせる。

[ コメント ]
物質世界の中に生物世界が開かれた構造からの類推を手掛かりに、生物世界の中に開かれる心の世界のありようを執拗なほど丹念に追求する。

人間が心の世界をもったのは、記憶によるところが大きいという。

本能、刷り込み、条件反射を経て自由意志へ。

記憶から時間と空間が生まれ、論理と感情が生まれる。

論理を原初的には因果律の判断と捉えているところが面白い。

インドの論理学も古代には因果関係が大きな軸だった。

それが必然かどうかを問われて、演繹論理学の性向を帯び始める。

心というあやふやなものを客観的につきつめていくとき、その限界も明らかになっている。

心の世界を維持し、未来を展望するために必要な規範則は、神などの絶対者によらない限り、絶え間ない自己研鑽によってしか得られない。

そこに、人間とは何か、自分とは何かを問い続ける人文学の意義が見出されるのだと思った。

遺伝や神経など、高校の頃習った生物学の知識を再確認できると共に、関連する哲学まで紹介されており、新書とは思えない読み応えがある。

[ 読了した日 ]
2008年8月2日