今日、アマゾンプライムで“怪物”という名の映画を観ました。地方のシングルマザーとその息子の物語。作品の前半は息子が体罰教師によって虐待されて母親が学校と対立するというもの。でも中盤から永山瑛太扮する虐待教師は実はとてもいい教え子思いの先生で息子の些細なウソによって退職に追い込まれていくという話。ここから先はネタバレになるので書きませんが、何が言いたいのかというと、物事は一つの側面からだけ見ると極めて歪んでしまうという本質を見事に描いていました。これは日本のマスコミの報道そのもの。NHKも含めて日本の報道機関は客観的な報道することは少ない。要するにバズればそれでよいという報道が実に多く見ていて胸糞が悪くなります。でも最近はマスゴミのウソ報道の隙間から真実を伝えたいジャーナリスト達がネット記事で開陳しているからわたし達も騙されなくなってきました。これはとても良い事なのです。昨日の記事で“ホロコースト否定論と忘却の懸念”というのがありました。このホロコーストに関しては報道というよりは歴史そのものが歪められている可能性があります。私は実際にドイツのダッハウ強制収容所に行って来ました。今自分が立っている小屋の床の節目の横に無残なユダヤの人々の遺体が並んでいる写真を見てゾッとしました。その写真の節目は私の足元にあるからです。こうい証拠写真は説得力があります。でも何万人も虐殺された収容所なのに遺体を焼く焼却炉は個人用のものが幾つか並んでいるだけでこれは何とも不可思議な光景でした。殺人工場ならもっと一気に焼く焼却施設が必要なのに・・、と思った次第。こういうつじつまの合わない不都合な事実を掘り起こそうとする西側のジャーナリストが結構たくさんいてネットにその研究成果を発表しています。一昔前ならこういう事は処罰か排斥の対象になりました。日本の現役医師がホロコーストの疑問を記事にしたところ記事を載せた雑誌は廃刊になり、その医師は生涯誹謗中傷の標的になっています。ところが今や世界的に若者達がSNSでホロコーストを否定する意見を拡散していて、犠牲者600万人という事が誇張だと思う人、フランス人の3割にも上るのだとか。ユダヤの人々がナチスドイツによって酷い目に遭ったのは事実なれど、歪んだ誇張が独り歩きしているという側面がそろそろ修正されようとしている模様。いろいろな側面から物事の真実を見極める事はとても重要なのです。

 

  先週での乗務のこと。横浜駅西口のタクシープールで40分順番待ちをしてやっと自分の番に回ってくる直前にいきなり助手席の窓を叩かれた。見れば70代の高齢女性が立っていて窓を開けると、「こっちに来てよ!」といいます。要するに正規のタクシー乗り場(その人の位置から約10m先)で乗らずに降車場で乗せろと言うのです。なので「それはご容赦ください、あちらの乗り場でお願いします。」と言えば、「あそこまで歩けないから言ってんじゃない!」と怒り出す始末。お連れの同年代の女性が手押しカートを持っていて歩行が不自由な人でした。それでも僅かな距離なのでお願いしても「いいから、こっちに来なさいよ!」と激怒。それでは降車させた車を拾っては、と言うと「いつ来るか分かんないでしょ!」と更に激高。仕方がないので無理矢理列から抜けて降車場に付けると乗り込んできました。行先を聞くと「相鉄ビルの裏」と答えるので相鉄本社ビル(そこから800m)ですか、と聞くと「分からない。」という答え。「いいからまっすぐ行ってよ!」と言い出した時点で完璧なクレーマーだからメーターを入れませんでした。すると「どこ走ってんのよ!」と言い出したので「さっきまっすぐって仰ったでしょ?」と言えば、「そんなこと言ってないでしょ。」と言い出し、「あ~あ~、変な所に連れて行かれちゃうわ!」と言い出しました。なので天理ビルの前(降車場から150m位の場所)でブレーキをガンと踏んで止めて「ちゃんと行先を言ってください!」「住所ありますか?」とさすがに私も強い口調で言い返しました。するとトランクの荷物の中にあると言います。そして車から降りてトランクの荷物をガサガサと探し始めて延々と10分。やっと案内のはがきが出てきて補聴器のお店に行きたかったという事がわかりました。目的地はそこから僅か100m先でした。あんまり頭にきたから10分間探している間に「メーター入れてませんから。」と言うと、急に態度が変わって「すみません。」と言い出しました。そして目的地に着くや「降りて頂けます?」と強い口調で言いました。「お金は?」というので「料金は結構です!」と500円自腹になるけれどスカッとするので言いました。すると「本当にすみませんでした。」とか「ご迷惑お掛けしました。」とすまなそうな表情で低姿勢に。1円も貰わなければ客じゃないからこちらも言いたい事が言える。(もちろん罵詈雑言ではありません)こういうケースは初めてでした。向こうも1円も払ってないから何も言えないという訳です。1円でも払えば“お客様は神様です”と高飛車にでる“ザ・昭和”世代の老害。結局私はまた並び直しで40分待ちとなりこの連中の相手をして浪費した約30分と合わせてトータルで約2時間ムダにしました。自腹500円以上に遺失利益は約6400円程。(1時間の平均売上3200円)それでもスカッとした爽快感は味わえた。

 先ごろキャベツ1個1000円が話題になりました。さすがに今週は大分落ち着いてはきましたが、それでもまだまだ高いまま。

我が家の毎週末買い出しに行く予算は3年前で5000円、2年前から6000円になり、昨年後半からは7000円に。そして今週からついに10000円に上がりました。とてもやってられない物価高が進行中。それにしても恐ろしいのは野菜が今後はもっと値上がりしていくという話です。先日ある専門家が書いていました。そもそも日本人は野菜は安い物という間違った感覚を持っている。いい加減に高い野菜に慣れて生産者を応援するべき、というもの。確かコメ問題でも同様の提言がされていました。キャベツ1個1000円で生産者はやっと報われるのだとか。どこの世界にこんなにも高い野菜やくだものを買う人種がいるのか?

私はヨーロッパ、アジア、オセアニア、アメリカと世界中旅行しましたが、食料品(特に野菜と果物)がこんなにも馬鹿高い国は日本だけ。どこの国でも主食のパンや米や小麦粉や野菜、果物は最下層の人々でもちゃんと買える価格だし、消費税も安い設定になっています。日本みたいに食料品にも高い税金を掛けているのは異常。日本の野菜が高い原因は店頭に色艶の良い形の揃ったものを並べるというのが習慣になっている事。誰も望んでいないのに小売店が勝手にそう思い込んで生産者にそういう定義を押し付けている。私も主夫をやっているからわかるけれど、まず見るのは値段。野菜は天候不順で高くなることはよくある事なので、そういう時は安い野菜に切り替えます。先般1袋99円のしいたけを買いました。訳アリしいたけと書いてあるパッケージ。少し削れたり形が悪いものを集めた商品ですが、実際には全く気にならない品質なのです。消費者はこういうものを望んでいるのにおかしなところに経費を掛けてそれを全部消費者に転嫁し、“消費者が望むから”と全部わたし達のせいにするのです。

今日お気に入りのスイートブレッドが98円から145円に値上がりしていました。145円は買えるけれど“買わない”という気持ちにさせられます。この“買わない”の前に2度とという言葉が付いてくる。メーカーや生産者は値上げしやすいから、そして政府が物価上昇を推進しているからと安易に便乗分も含めた値上げを繰り返していますが、消費者は“もう二度と買わない”という選択肢を選ぶのです。不思議な事ではないけれど145円のパンの隣には芳醇というパンが88円で売られています。今度からはもちろんそちらを買います。探せばそういう価格を据え置くものもあります。結局はそういうものが売れていく。値上げしなくても今までの2倍売れればよいというポリシー。いずれ高いコメも高い野菜も、便乗値上げ商品も破綻に追い込まれる可能性が濃厚なのです。

消費者を馬鹿にするな!!