ブログ内に誤った表記があったために、修正致しました。
今回の区切り最終日で、今日の内に帰宅するので15時位までしか歩けません。
6時30分に朝食を摂りながら、Tさんと今日のスケジュールについて情報交換します。
Tさんは相変わらず足首の状態悪いみたいでして、今日は歩けても歩けなくても安芸で2泊して休息日を作るそうです。
そして実は私も今朝起きたら、何故か右足首のくるぶしの下辺りが痛い
Tさんとピッタリ同じ箇所です。
不思議ですよね。
もうこれはお大師さんの警告としか考えられません。
ただ、私は歩くのには問題無いのが、せめてもの救いです。
そんなこんなでTさんが20分程先に出発し、私は7時過ぎにしだおさんを後にしましたが、天気予報通りの雨です
↓おうち宿しだおさん
少し国道を歩き、右手の遍路みちに折れて中山峠を目指そうてしていると、地元のお爺さんから、
「今日は雨だから峠は避けた方が良いよ」
と声を掛けて頂けました。
「ありがとうございます」とお礼を伝えて先に進んで行きますが、行くなと言われたら興味が湧いてしまう性分の私。
とりあえず、峠の入り口位は覗いてみるか。
と、探しながら歩きましたが、結局、発見出来ないままでした。(同行二人のお大師さんが、行くな!と導いてくださったんでしょうね)
↓昔ながらの古い遍路道標
↓再び国道沿いに出ました。
神峯寺までは16kmもあります。
雨が緩くなったので休憩がてら、上着を脱ぎます。
↓羽根岬が見えて来ました
↓羽根岬に神社があります。
普通なら寄らせて頂くのですが、今日も調子が上がらないのでスルーしちゃいました
↓弘法大師霊跡
↓道路の向かいには大師堂らしきお堂がありますが、ここもスルー。
こりゃダメです
↓コンビニ風のショップヨシダさん
なんとこの店もスルーしちゃいました。
体調上がらないし、足首も痛いので仕方がない面もありますが、ダメなお遍路になってます
↓このコンビニ風商店を過ぎたら、右手の遍路みちに進みます。
↓この辺りは『奈半利』と言う町なんですよね。
この『なはり』は後から出てくる地名なので覚えておきましょう!
奈半利の市街地を歩いて行きますが、なんともレトロな雰囲気の気持ちが落ち着く街でした
↓途中、福田寺と言うお寺さんが出て来たのですが、幕末好きな私には、『幕末』や『志士』と言う言葉に敏感でして、その中に『清岡清之助』と言う名を見れば、もう寄らずには居られません
↓山門を潜って行きます。
↓二十三士顕彰碑
土佐藩に投獄された武市半平太の釈放と尊王攘夷を訴えるために決起した二十三士ですが、捕らえらて処刑されてしまいます。
幕末は本当に熱い時代だったし、その頃の日本人も情熱に溢れていたのだと思います。
それに比べたら現代人は、、、
↓土佐勤王党のリーダー 武市半平太の像
清岡清之助の菩提寺であった、この福田寺に二十三士のお墓もあるそうです。
あるそうです。と言ってるのは、なんとそのお墓にお参りする事が出来ていないからなんです
よっぽど体調悪かったんですかね。
そんな体調ではありますが、幕末好きには、やはり高知県は胸に熱いモノが込み上げて来ちゃいます
↓田野町に入って来ました。
味のある遍路道標ですよね
↓『美丈夫』の酒蔵です
この辺りで後から来た、街道筋を散策しているお兄さんに追い越されてしまいます。
その後もグングン引き離されましたので、かなり歩く速度も落ちてたんだと思います。
国道に出てから、再び側道に入り、↓の場所で休憩していたら、なんとTさんが歩いて来ました。
いつ追い越したんだろう?
↓足を引き摺りながら歩いて居られるTさん。
こっそり写真を撮って御免なさい
その後、Tさんに追い付いて並走しますが、今日は神峯寺を諦めて、唐浜駅から列車で安芸に移動してホテルに2連泊して足休めをするそうです。
歩く姿を見ても、どうにもこの後の遍路ころがしは無理だと思いますので懸命な判断だと思います
並走もTさんに気を使わせてるので、納札を交換したら、私は先に歩いて行きます。
Tさんは通し遍路ですが、今頃はどうなさってるんだろう?
その後、安田まちなみ保存地区に入ります。
↓安田まちなみ交流館
↓右手にこのオブジェが見えてきたら、いよいよ神峯寺への遍路みちに折れて行きます。
↓よさこい秘話の案内板
この辺りは有名な『よさこい節』の元になった物語の舞台なんです。
この後、いよいよ高知県唯一の遍路ころがしである『真っ縦』擁する神峯寺に入って行きます
次に続く