あの日のこと 3 | お馬さん日和

お馬さん日和

2018年まで一緒だった黒い愛馬との思い出と、
2019年から一緒になった白い愛馬とのこれから。

あと、ヲタク少々。

これで最後です。

 

馬の怪我や死について触れているので、

そういうのがダメな方は

これ以上読み進めないようお願いします。

 

 

 

 

 

 

4月9日 (金)

 

早朝、乗馬クラブへ。

 

馬着を脱がして、

朝飼いを食べさせて、

刈ってきた庭の草を食べさせて、

リンゴを食べさせて、

ブラッシングして、

初めて会った時みたいに

お尻をたくさん掻いてやり、

ごめんねと何度も謝り、

最後にありがとうと言ってお別れしました。

 

 

 

獣医さんが鎮静剤をたくさん入れてくれたからか

もっとバタバタすると思ってたけど、

肢をフラフラと揺らしただけで

すぐに動かなくなりました。

獣医さんが聴診器を当てて確認し、

手を合わせてミスティが亡くなったことを教えてくれます。

 

クラブの管理責任者さん、

昨日からずっと手を貸して下さったベテラン職員さん、

朝番で早く出勤した職員さんも手を合わせてました。

 

 

無口を外して、

ベテラン職員さんに

眩しいだろうからと顔にバスタオルをかけてもらい、

遺髪としてタテガミを少し切って、

跣なので蹄鉄を外す必要はなかったけど、

固定してるのは外さなきゃダメだよねってことで

ベリベリ剥がしてると、

遺体引き取り業者さんのトラックがやってきました。

 

安楽死処置をしてから10分後くらいの引き取りは、

目の前で静かに横たわる愛馬を見続けるのが辛かった私には救いでした。

 

 

 

トラックを見送った後は

手入れ道具や馬着などを片付け、

主のいない馬房にお花とお供え物を置いて

すぐに帰宅しました。

 

先代の愛馬が老衰で亡くなった時は

朝から夕方までクラブにいて

スタッフさんや馬友さんたちと彼の思い出話をしましたが、

今回はとてもそんな気にはなれなかったです。

 

 

 

どうしてこんなことになってしまったんやろう?

 

なんでミスティを死なせてしまったんやろう?

 

あの時、ロープを離さなければ…

 

もっと集中していれば…

 

朝の運動なんてしなければ…

 

自馬にせず、小淵沢でずっと暮らしていれば…

 

 

 

音声扶助だけで馬を操れる、

 

ロープなしでも調馬索できる、

 

ハミなしで、無口で騎乗できる、

 

そんな私は馬のことをよく分かってる、

 

だから私は馬と良い関係が築ける、

 

私とミスティの間には強い絆がある、

 

うちの子になったからには幸せを約束する、

 

 

全部、私の思い上がりです。

今まではただただラッキーが重なってただけで、

私の力でどうこうできてたわけじゃなかった。

少し前に、

 

「先生に乗り運動や調教してもらってるわけではないのに

先代の愛馬は歳をとっても競技で活躍し続け、

ミスティは張って暴れたりせず大人しくてスゴイね」

 

と、馬友さんに褒められて天狗になってたけど、

それもとんだ勘違いでした。

(もちろん、クレイン時代の貯金や元々の性格、

管理方法のおかげだという意識もありましたが、

私の力だという思いの方が大きかったです)

 

 

後悔しかありません。