数万年前の旧石器時代から弥生時代中期頃まで、腰岳の黒曜石は各時代のハイテク材料
として重宝されてきました。
この腰岳は、別名伊万里富士とも呼ばれ、きれいな稜線を描きます。
標高487.7mと決して高くはない山ですが、古代より、人々の生活を支えてきました。
後ろの山が、腰岳山頂になります。
30分程度で山頂へ着きました。
山頂には、多孔質流紋岩と思われる岩があちこちに、ゴツゴツあり、なんだか気持ちが高ぶってきます。磐座などを見るだけで気持ちがわくわくする性質です(困ったもんだ)
山頂には弁天様が祀ってあり、昔訪れた時に、そのロケーションが大変気になっていました。
お堂の屋根の両端には巨石があります。
反対側は先ほどの巨石が石窟となり、窟の中は祈祷所になっています。
あいにくメジャーを持っていませんでしたが、3m位の高さがありそうな巨岩です。
両脇の巨岩を壁として、アーチ形の屋根を載せている構造で、この弁天堂は後から設置されたようなつくりになっています。
巨石はこれだけではなく、周辺にまるで配列されているかのごとく、環状にそびえています。
全体像のわかる写真を撮れる場所がなくて、こんな感じですが、この巨石群はメンヒルだと直感しました。 ここは、腰岳ストーンサークルです!
配置された陰陽石の入口からサークル内へ入ってみました。
現在確認されている国内ストーンサークルで最大である、大分の猪群山のストーンサークルとよく似た概要だと思われます。
ここの規模は少し小さいですが、それでも直径は10mを超えていると思われます。
猪群山の支柱石は姫島のある東方向を指していたと思いますが、太陽の位置からして、ここも東方向を指しているようです。
その意味するところは分かりませんが、今後の研究課題です。
ストーンサークルのあるマウンドから下の方を調査していると、ドルメンみたいなテーブル石がありました。
中は窪んでおり、まるでソファーのようです。窪みが自然か人工的かは今後の調査で明らかにしたいと思います。何せ、表面の風化が激しく、パッと見では加工痕がわかりません。それなりの道具を準備しないといけません。
この弁天堂が立っている場所はマウンド状になっており、かなり広いです。
規則性を見いだせる配石遺構と、あちこちに断続的に散らばる巨岩があります。
猪群山ストーンサークルのように発掘されれば、何かつかめるかもしれません。
腰岳ストーンサークルがどういう遺構で、何の目的で構築されたのか知る由もありませんが、
このように推理しました。
弁天様が祀ってあると言う事は、水に関係があるのでは?
弁天様は、芸事や金運の神様と認識されている方が多いと思いますが、水や農事の神様でもあります。
なぜ?近くに水もない山の頂上に弁天様を祀っているのか?
ひらめきました! 雨乞いのためではないのか?
猪群山ストーンサークルでは、雨乞いの儀式施設ではないか?という説もあります。
腰岳は、弁天様が祀ってあり、容易に雨乞い儀式と結びつきます。
調べてみると、腰岳は「水分けの山」とも言われており、昔から農民信仰の山であり、
豊かな水を恵んでくれる山と親しまれているようです。
北部九州は数十年に一度、必ずと言っていい程大干ばつに見舞われます。
自然相手のこと、大昔は神仏にすがるしか手立てはなかったでしょう。
弁天様を祀り、干ばつの度に、雨が降るよう祈願した事でしょう。
しかし、それは中世以後のことだと思われます。
巨石遺構はそれ以前のものだと思われます。磐座のような巨石崇拝は弥生時代よりもっと遡ります。
縄文、あるいは旧石器時代。
古代より黒曜石の産地として栄えたであろう此の地は、多くの人口を抱えた地域であったでしょう。
当然ながら多くの人々の生活を支えるには、安定した食物の供給が欠かせません。
早い時期から植物の栽培に関わったと考えられます。
暑い夏の時期に、雨が降らず、収穫を前にした畑は乾き、地面はひび割れ・・・ 天空の神様に願いが届くように、山頂の岩を動かし、環状に配石し、エネルギーを集約させたのでしょう。
縄文の人々は、丸や三角にエネルギーの存在をを見出していたようで、
石川県のチカモリ遺跡や富山県の桜町遺跡の環状木柱遺構は興味がそそられます。
特に、桜町遺跡のサークルの中に立つと、すごいエネルギーが放射されていました。
じっくり研究してみたい遺跡です。
腰岳の周りは、実り豊かな田園風景が広がり、あれらの畑は数千年か、数万年か?代々受け継がれてきたのだろうと想像すると、深い時の流れに吸い込まれそうな感覚に陥りました。
今回は、昔の記憶を頼りに下調べのつもりで行ったのでしたが、予想外の発見があり、今後の調査研究が楽しみになりました。
携帯ムービーで画質が悪いですが、こちらも見ていただけると有り難いです。