もし才能という言葉の定義を「半分以下の努力で倍以上の成果が出るもの」とした場合、才能は「自分ならこうするのに」と思う事柄の中に隠れているのではないでしょうか。
だとするならば、普段の生活の中で自分がイライラしやすいポイントというのも、転じて才能の隠れ場所なように思うんです。
イライラするという事はつまり「自分ならこうするのに」が存在するという事だからです。
例えばコンビニのレジでモタつく店員にイライラするのなら、それは「自分ならレジこうやってするのに」があるからだと思うんです。
例えば礼儀的に致命的な人間からの言葉にイライラするのなら、それは「自分ならこういう言葉使いにするのに」があるからだと思うんです。
何も感じないのであれば「こうするのに」なんていう考えに至らないからです。
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人が才能を欲する時って、自信が不足してる時だと思うんです。
だけども欠落している自信を才能や実績で穴埋めしようとするのには限界がある。
「才能があるから自信がある」
「◯◯できるから自信がある」
の場合、その才能や◯◯を失った時に結局自信を失うからで、
才能や実績に関係なく胸を張っていられる状態が自信だと思うからです。
それでもね、完全に枯渇してしまった自信のコップを再び満たしていく時はね、最初のうちは才能を誇る自分でいいと思うんです。
できた!俺すげーじゃん!
俺にはこんな才能があるのか!
これでいいと思うんです。
「自分を喜ぶこと」が、自信を持つために必要な第一歩だと思うんです。
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「イジメ克服ブロガーミュージシャン」Bun(ブン)
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