4月16日、赤塚城、志村城を攻略した後は、
東武東上線の ときわ台駅へ降り立つ。
駅から南へ10分弱の地点
環七通りと川越街道(国道254線)の交差点
このお寺と小学校がある区画が 板橋城 の跡地です。
お寺(長命寺)の前にある解説パネル。
長命寺が1650年頃に創建されたことは書かれているが、
板橋城については最後の2行に「伝承地」としか書かれていない。
板橋城は元々は赤塚城、志村城と共に豊島氏の配下。
豊島氏のメインの城は石神井城(現在の石神井公園)で、次に有名な城は練馬城(現在のハリーポッターのスタジオ、旧としまえん)。
そして豊島氏から分かれた板橋氏が板橋城を治めていた。
板橋の地に入ったから板橋氏になったのか、板橋氏が治めた地が板橋になったのか、どっちだろう?
15世紀中頃に赤塚城、志村城とも千葉氏のものとなったので、板橋城も千葉氏のものとなり赤塚城の支城となったことでしょう。
となると、小田原北条氏が豊臣秀吉の小田原攻めに敗れると、千葉氏は北条氏に仕えていたので赤塚城、志村城と共に板橋城も廃城。
その後に長命寺が創建されたのでしょう。
長命寺
小高くなっており、築城にちょうど良い土地だったようです。
お寺に入ってみましょう
左は環七
もし住職が出てきたら何を話そうか、、、などと考えながら見学。
1782年に建てられた立派な本堂
こちらは墓地
遺構は全く残っていないとの前情報でしたが、その通りでした。
でも広範囲の地形などを見ると、城の全貌が目に浮かんでくるものです。