宇都宮城 | ルアーマンのブログ

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飲みと釣りの日々。
自分で釣った魚でやる一杯は最高!

9月1日、宇都宮駅 へ。

 

宇都宮駅と言えば、この8月にLRT(Light Rail Transit)が開業したことで有名。

 

でも自分が目指すのは西口。

駅の西側にあるトナリエ宇都宮(この高いビル)は、昔はロビンソン百貨店でした。

ロビンソンのビル、つまり「ビル・ロビンソン」と我々は勝手に呼んでいたものです。

 

ビル・ロビンソンと言えば、

ビル・ロビンソン

イギリスの超正統派プロレスラー。

アントニオ猪木との初対戦で、60分3本勝負を1対1で引き分けた試合は名勝負でした。

 

ビル・ロビンソンの得意技「ダブル・アーム・スープレックス」

この技により、「人間風車」と呼ばれていました。

 

話は逸れましたが・・・

駅から南西に1.4kmの場所へタクシーでGO。

(バスはしばらく来ないし、猛暑の中を歩くのも死にそう。)

 

宇都宮城へ着

これは清明台です。

 

 

現在の宇都宮城址公園

左が北。駅は左上方向。

 

これも城址公園の全景。下が北。

中央の赤いジムは清明台。その真上の青いジムが富士見櫓。

 

清明台の前の水堀は猛暑で干上がっていた。

汚泥で汚れないように底はコンクリート。

 

清明台の周囲を時計回りに。

 

エラく高い土塁の上に建っている。

 

土塁の上に登る階段があります。

 

土塁上の反対側には富士見櫓

 

 

土塁の中央はくり抜かれていて、中には無料の展示館があります。

くり抜いていないと東西の行き来が面倒になって来場者も減るだろうから良いアイデアですね。

また土塁上と展示館を結ぶエレベーターがあるのもウレシイ。

 

富士見櫓

 

富士見櫓側の階段から土塁上へ。

 

土塁上から北方向を望む。

 

富士見櫓

 

昔はここから富士山が見えたことでしょう。

 

内部には何も無い。

 

土塁上を安全に歩けます。

 

芝生の向こう側(東側)には清明館という無料の資料館がありますが、宇都宮の歴史に関するものばかりで、宇都宮城に関するものはほとんど無い。

 

土塁上には狭間(さま)が。

 

清明台

 

清明台は天守閣の役割を果たしていたと推測されています。

 

土塁上からエレベーターで展示館の「宇都宮城ものしり館」へ。

城の本丸部分のジオラマ。下が北。

これの右3分の1だけが現存箇所。

 

本丸部分のうち、赤線より上(西側)部分だけが現存箇所。

 

枡形門があったんだ。これも復元すれば良かったのに。

 

宇都宮城は町全体に広がる大きな城郭でした。

日光街道への拠点でもあるし、東北から江戸へ向かう勢力を抑える要衝なので、大きな城が必要だったのでしょう。

 

平安時代に築城され、戦国時代末まで500年間 宇都宮氏が治める。

関ヶ原の戦いでは、徳川家康の次男・結城秀康(城主にはなっていない)がここを拠点に西軍・上杉景勝の北からの進出を阻んだ。

 

その後、蒲生氏、奥平氏などが城主を務めた後、家康の没後に本多正信の長男・本多正純が城主になり、城と城下町の大改修を実施し、現在の発展につなげる。

しかし特に武功が無いのに15.5万石の大名となった正純は他大名の反感を買う。

二代将軍・徳川秀忠が日光東照宮へ参拝の途中で宇都宮城に宿泊の際、釣り天井を落として秀忠を暗殺しようとしているという話をでっち上げられ、正純は秋田へ流罪。

父・本多正信の「3万石を超える加増を受けるな」という戒めを守っていれば妬まれることも無かったでしょうに。

 

その後は奥平氏、本多氏(本多正信・正純ではなく、本多忠勝の子孫)、松平氏、戸田氏などが城主を務め、幕末へ。

1868年の戊辰戦争で多くが失われたが、21世紀になって現在の城址公園部分が復元された。

 

宇都宮城ものしり館にスタンプがあった。

 

土塁の間から西へ出る。

北側の堀は干上がっているが、

 

南側の堀には水が残っていた。

 

土塁を抜けて真っすぐ西へ行きます。

 

この緑地は二の丸があった場所。

少し高まって木々が植えられている場所は土塁の跡。

 

富士見櫓の近くにはヤクルトのカフェがありました。

 

本丸の外の部分もじっくり見学したかったが、暑くてギブアップ。

次回来る時は 宇都宮タワーも含めて見学することにしよう。