3月13日、北陸新幹線上田駅へ。
上田駅で早くも赤備えがお出迎え。
駅前ロータリーには真田信繁(真田幸村)
真田信繁が本来の名で、幸村は後世に付けられて広く認知されたもの。
後ろから見ると迫力が減りますね。笑
住宅や商店がある中を進むと、城壁っぽい場所へ。
堀の向こうには城門
長野県上田高等学校
旧武家屋敷の跡地をそのまま学校にしています。
土塁と堀に囲まれた難攻不落の学校
上田市役所や上田市立第二中学校の横を西へ進む。
向こうに見える木々が上田城。
上田城入口の向かい側には上田市観光会館があります。
入城無料なので、入っておくのがオススメ。
入口横にいるのは猿飛佐助の彫刻像。
佐助は真田信繁に仕えたと言われている、半ば架空の人物。
日本100名城スタンプは城内の上田市立博物館と、ここ観光会館にあります。
ここにも真田信繁
左に描かれている霧隠才蔵も架空の人物。
観光会館内には真田幸隆(幸綱、お爺ちゃん)、真田昌幸(父)、真田信繁の真田三代の鎧。
二の丸橋から入城
右下が二の丸橋
図のずっと右下が上田駅
二の丸橋の下は深い堀。
底の道を通れます。
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓
TVなどでよく登場する場所です。
東虎口櫓門
櫓門にはデッカい真田石
門の中は眞田神社(この漢字を使うらしい)
ジャンボ兜
眞田神社に参拝
神社の横には真田信繁の青年時代の像
西櫓
西櫓付近からの眺望
西虎口の跡
地面に門柱の礎石があります。
真田井戸
神社より一段高くなった本丸跡
土塁で囲まれた本丸跡には何も無い。
本丸を囲む水堀
東虎口櫓門から出ようとしたら、何者かが現れた。
「足元の悪い中、よくぞ来られた!」
信州上田おもてなし武将隊の方でした。
小雨の平日でも出動しているんですね。
これをいただけました。
いろんなメンバーがいるらしいが、ラッキーなことに自分が出会ったのは真田幸村。
水堀の北東角は「隅おとし」。鬼門除けの意味があります。
北虎口
北虎口を出た場所にある陸上競技場。
昔は水が溜まった百間堀の跡。
石垣の端には、、、
百間堀の石樋(いしどい)
上田市立博物館(有料)
隣にある別館とセットで見学しましょう。
上田城は1583年に真田昌幸(真田信繁の父)が築城。
1585年、第一次上田合戦で真田昌幸は徳川家康軍を撃退。
1600年、第二次上田合戦でも真田昌幸は徳川秀忠軍を寄せ付けず、秀忠が関ヶ原に遅刻することとなった。
しかし関ヶ原の戦いでは真田昌幸、真田信繁父子は西軍として敗れたため、上田城は取り壊される。
江戸時代に入り、1626年にこの地へ移って来た仙石氏が上田城を再建。
1706年に仙石氏に代わり松平氏が入城し、幕末を迎える。
上田城と言えば真田氏だが、現在の姿は仙石氏が造ったものなんですね。
基本となった縄張りは真田氏考案のものだけど。
上田市立博物館の本館は、仙石氏、松平氏に関する展示がメイン。
仙石氏の鎧
松平氏の鎧と槍
大砲も!
別館には真田氏の展示
真田信繁(幸村)の肖像画
「犬伏の別れ」の図
関ヶ原の戦いを前に、宇都宮の近く・犬伏にて、
真田昌幸(父)、真田信之(信繁の兄)、真田信繫が東西どちらに付くか話し合う。
昌幸、信繁は石田三成の西軍に、信之は徳川家康の東軍に付くことに。
って、上田での出来事ではないじゃん。
第一次第二次上田合戦の他、犬伏の別れの他、長篠の戦い、関ヶ原の戦い、大阪冬の陣・夏の陣など、真田氏の歴史全般の展示となっています。
二の丸橋の下、堀底を南へ進みます。
城の南側
南櫓
西櫓
西櫓(左)と南櫓
千曲川の一部・尼ヶ淵に面していた場所。
一通り見学終了。
日本100名城らしく、見どころ多い城でした。
駅に戻ったら、もう1つ鎧がありました。