彼女と晩御飯を食べていると、彼女が珍しく悩んでいる様子だった。いつも明るい彼女が暗い表情をしているので、「今日こそは」という気持ちで彼女に何があったのか尋ねた。
というのも、1年ちょっと付き合っている彼女からは何度か悩みを打ち明けられた経験があるが、私はそれにうまく答えられたことがない。付き合ってから初めて、彼女が経験した理不尽な出来事に関する愚痴を聞いた時、彼女以上に私が怒りを覚えてしまったことで彼女の話を冷静に聞けず、「そうなっちゃうと相談しづらい」というもっともな指摘をいただいた。
それ以降、彼女のいつもと異なる雰囲気を感じ取るたびに「今日こそは私がなんとかするんだ」という気持ちで話しかけるが、話し終わった後の彼女はいつも話し始める前よりも険しい顔をしていた。
そんな感じなので、今日こそはという気持ちで話に臨んだ。
立ち上がりは順調であった。彼女が話す悩みを話し終わるまで口を出さないようにし(これも過去に指摘を受けていた)、できるだけ穏やかな口調で話をした(これもだ)。
ただ、ここからがダメだった。理由は明白である。私が彼女の悩みに解決策を提示したからだ。今日における全てのSNSで「女の子の悩みには解決策ではなく共感を」を叫ばれているにもかかわらず、気付いたら私は自身の経験に基づいた完璧な解決策を提示し終わり、例の如く彼女の顔は悩みを話し始める前よりも険しくなっていた。
そしてこのシチュエーションにぴったりなあの一言、「解決策を求めていたわけじゃない」を頂戴し、気まずさをかき消すようにカレーを掻き込んだ。
ただ、私は納得いかなかった。なぜなら、私の提示した解決策は明らかにその悩みに対する「正解」で、彼女の悩みを解消し、暮らしを豊かにするはずの提言であったからだ。その解決策を提示せずにただ共感している人間は、真に彼女を想っているとは言えない。
それでも、この場における正解は悩みを話している彼女の感情で、それに寄り添えないのもまた真に彼女を想った人間とは言えない。
だから、私は考えた。そして気付いた。
女性が悩みを話している時、重要なのはその中身だけでなく、なぜそれを話すに至ったのかを想像することだ。私の彼女は基本的に強く、自分でなんでも解決できる人間だ。その彼女が悩みを話している時には、なぜ彼女がそれを話すに至ったのかを想像する必要があった。
彼女はクイズのつもりで悩みを話しているわけではなく、悩みに起因する寂しさであったり苦しさといった感情を吐露し、私がそれに寄り添うことによる安らぎを求めているのだから、私が早押しボタンに手を置きながら話を聞いている時点で不正解である。
先ほどの私は、終電を過ぎたBarで「家までの帰り道を1人で歩くのが怖いの」と腕を絡ませながら上目遣いで話す女性に、「これを使いなさい」とショットガンを渡してしまうくらいズレていたわけだ。
私にとって画期的な考えだったので急いで言語化したが、もしかしてこれは世間的には自明な話だったりするのだろうか。
もしまだ女性の悩みに対してショットガンを渡しているダメンズがいたら、今すぐ武器を捨てて欲しい。ショットガンを受け取った女性が最初に銃口を向けるのはあなただろうから。