少し前から朝のランニングを始めた。週に3回、いつもより少し早く起きて、人がまばらな川沿いを5km程度走る。まだ始めたばかりなので続くのかは分からないが、朝の時点で5km走るという偉業を成し遂げるので1日の充実感が高まるし、夜の寝つきも良くなっている気がする。


ランニングを始めた理由は、最近お腹周りのお肉が気になってきており、自分の体積でより多く地球を占有したいといった望みもないからだ。また、会社の先輩が結婚式に向けたダイエットとして「1ヶ月で100km走る」を目標にランニングをして、実際に2ヶ月で6kg痩せた話を聞いたのも大きい。(先輩は他にも厳しい食事制限をしているといった話をしていて、痩せた理由の大半はむしろそれなのではという見解もあるが、世の中で重要なのは真実ばかりではない。)


この話で取り上げたかったのは、「1ヶ月で100km走るってすごいな」と感じた私の心の動きである。

私は今まで月当たりの移動距離で人の価値を測ったことはなかったが、先輩の話を聞いたことにより、自分の中に新たな評価軸が生まれた。つまり、「人たるもの、長い距離を移動すべし」と思うになった。(とはいえ他人を月当たりの総移動距離という指標で測ることは今後もないと思うが。)


インターネットが発展した今の社会は、上記のように「自分の中の評価軸が増える」ことによって生きづらさが加速しているように思う。もう少し正しく整理すると、「他者が持つ評価軸によって自分を評価する」または「自分が持つ評価軸によって他人を評価する」ことによって、自身が傷ついたり、他者を傷つけてしまったり(あるいは意図的に傷つけたり)することが多々ある。

私の場合、年下の起業家を見て落ち込むこともあれば、異常な早起きから始まる努力系vlogの投稿を、(本来は評価する必要がないのに)「勝者を生まないレッドオーシャン」と揶揄したりする。


ネットがない時代にも「評価軸が増える」経験は当然あったと思うが、現代における無限とも言える情報量は、受け取り手に対して本来必要なかったであろう評価軸を無数に植え付ける。そして、無数の評価軸を持った未整理な人間は、本人にとって本来的には重要ではない評価軸で自身を評価して傷つき、同時にその評価軸を武器に他者を攻撃してしまう。


私は「分別のある若者」なので、私固有の評価軸である「年間の読書数」や「Ameba blogのフォロワー数」で他人を測ったりはしない。だが、気を抜くとつい自身が評価する側であると勘違いして、気付かぬうちに増えた他者が追いかけていない評価軸で人を測り、無意識に他人を傷つけてしまうのである。


誰しもが人生の主役であるが、人生を一本の映画とするならば、主役が評価者の席でふんぞりかえっている作品よりも、自身を磨き続け、最後の最後に最高の評価を得る作品を観ていたい。




私は今日も、Ameba blogというブルーオーシャンで、「フォロワー20人」という目標を掲げて戦っている。