先日、私がおすすめした本を読んでくれた友人から、「あの本は全く面白くなかった」と言われた。友人曰く、「おすすめされたのだからいつか面白くなるのだろうと思って読んでいたが、面白くないまま終わった」という。

友人の発言を受け、もちろん共感を得られなかった悲しみがないことはないが、それ以上に喜びが大きかった。理由は3つある。①友人は私がおすすめした本を読んでくれていて、②私がおすすめしたのだからどこかで面白くなるのだろうという信頼を持ってくれており、③面白くなかったことを率直に教えてくれたからである。


私にとって自分がおすすめした本を読んでくれる人がいること以上に嬉しいことはない。本を読み終えるには数時間かかるし、年間で20冊読む人でも読書家と言えるくらい読書は貴重な体験である。自分がおすすめしたご飯屋さんに友人が行ってくれたら嬉しいという気持ちは誰しもあるだろうが、多くの人は1日2〜3食、年間で730回〜1,095回ご飯を食べる。そのため、年間20冊の本を読む人におすすめの本を読んでもらえることは、おすすめのご飯屋さんに行ってもらえることの37〜55倍くらい嬉しい。私の喜びが伝わっただろうか。


しかもその友人は、私がおすすめした全体で500ページくらいの本がめちゃめちゃつまらないにも関わらず、「私がおすすめしたから」という理由で読み切ってくれた。私の場合、難易度にもよるが500ページ読むのに6〜8時間かかるので、その間つまらない本を読み続けるのは相当な苦痛のはずである。試しに理系の人は憲法の教科書の通読を、文系の人は(よく分からないが)数Ⅲの勉強を6〜8時間してみてほしい。そうすれば、その行為の辛さと、その辛さを自身への信頼を糧に乗り越えてくれる友人が存在する私の喜びを理解いただけるはずだ。


更に、その友人は、8時間の苦行を経て読み終えた小説を、おすすめした本人を前にしながら「つまらなかった」と評した。通常、人が好きなものにネガティブな反応を示すことは好まれない。ただ、本来であれば経験する必要のない8時間の苦行を、私への信頼ゆえに乗り越えてくれた友人が発する言葉は、ネガティブであればあるほど、その忖度のない誠実さを表している。だからこそ、その言葉は傾聴に値するのではないか。

私はおすすめした本を読んで欲しいとは思うが、その本を評価して欲しいとは思っていない。面白くなかったのであれば、なぜその本が面白くないのかを教えてほしい。私自身では気づけなかった視点で、私の狭い了見をぜひ広げて欲しい。その友人は私にとってまさに理想の読み方をしてくれたのである。


今日は最近読んだ本の感想・考察を書くつもりが、嬉しすぎて嬉しかったことを書いてしまった。


友人は大切にしていきたい。