今日、いま働いている会社の人たちとの懇親会に参加した。
大好きなビールをジャカジャカ飲みながら、自己紹介をしているうちに聞こえてきた。
「あの人は昔全日本のバスケット選手だったことを質問すると喜ぶよ!」と。
(ショック!)…そうなのか、私はその質問をされると喜ぶ人間だと思われているのか。
あああ〜悲しいよ〜!!!時が過ぎるとこんなことになっちまうんだね!
実を言うと、喜んでなんかいないよ。ただ昔を熱く語っているだけなのです。
それらしき経験のある人とない人に私の経験を話したとき、只の自慢話に聞こえるのか、
そうでないかは、聞き手の人間の経験によって随分違うものであることを悟った本日でした。
たった今、テレビを見ていて「サントリー山崎工場」が出てきた。
NHKのマッサンで注目されたウイスキー工場だ。
かって、その真ん前に位置していたのが、ユニチカ山崎バスケットボールチームの体育館だった。
もちろん今は、会社も体育館もチームも消滅、過去の思い出となってしまった。
でも、「思い出すなぁ…」ユニチカバスケに入部して、初めての練習中、
時は4月頃だったであろうから、体育館の窓ガラスは全部オープン。
恐い先輩、威厳あり過ぎの黒色がベースの日本一のチームのバスケットボールコート。
しかしすぐに気付いた。つらい練習よりも、吐きそうになるこの匂いは何何何?
すぐに先輩が一言。「サントリー山崎工場のウイスキーが発酵する匂いよ!」
先輩が教えてくれた最初のアドバイス。一生忘れ得ない一言だ。
なのにいつの間にか、日々の激しい練習とともに気にもならなくなり、
むしろ良い匂い?ありえない。匂いがどうのこうのと語れないほど厳しい練習の日々。
やがてチームにも慣れた頃、
…練習の出来が悪く叱られまくって抜け殻のようになってトボトボ歩いた夕暮れの島本町山崎。
サントリー山崎工場の真下にあったお店「かぎゅう」での唯一の楽しみの買い食いとともに、
かぎゅうのおばちゃんとおじちゃんにボヤキに行く道すがら、
夕暮れの空を見上げるとサントリー山崎工場の「SINCE 1917」が何か励ましてくれてるような
…ぜったいそうだったと思うけど。
でも悲しいかな、私の記憶するそのネオンの存在を証明する画像が
サントリーの画像を検索してもまったく出会えないです。
…今ではサントリー山崎工場の見学は予約一杯でままならない状態だとか。
ユニチカバスケットボールの体育館の思い出と同じくらい、私の心の詳細を鮮明に思い出させる
サントリー山崎工場。そう遠くないうちに尋ねてみようかな。
4月18~19日の2日間で110キロ歩くというイベントに申し込んでいる。
さすが、こんな長距離をひらすら歩いた経験はなく、
自らチャレンジを決意してのこと。

が、しかし、先週末の練習を経て、分かってしまった。
自分の限界は25キロあたりまでであると。

バスケ時代の古傷が悲鳴を上げたのである。
特に右脚全体だ。
バスケ時代に疲労骨折3回を耐え抜いた右脚が
今回の練習の往復30キロウォークの
25キロ程歩き続けたあたりで、痛みとともに限界を訴えてきた。
股関節の外側がぼっこり腫れてきて、かなり痛い、これ以上歩けない・・・
おまけに目眩もして、横断歩道を渡る自分がおぼつかないほど。

心は持ちこたえられるのに、もう右脚がついてこない。
まさにバスケ現役選手時代に感じた
疲労骨折を隠していた、あのときの痛みを彷彿とさせるもの。

しかし、選手でも何でもない今は、潔く決めることができるのだ。
「やめよ!」

だから、110キロウォークのメンバーから戦線離脱。
皆やさしいから「大丈夫ですか~?」と言ってくれるけど、
スポーツ障害なんて説明しても、理解するのは難しいだろうから
それ以上は何も言わない。

完治していないのに、今日は英会話レッスンに行くのに
往復50分も歩いたから、ふたたび腫れてきてしまった。
あ~あ、痛い!