かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
モルヒネのせいか、
うわごとをしゃべるようになった姉。
私には死に対する恐怖のような
うわごとばかり言っていた姉ですが、
母には違うことをしゃべっていたようです。
「いつもありがとう」
「しあわせになってね」
「○○の願いはね、みんなが幸せになること」
自分の名前を言うあたりで、
赤ちゃん返りをしてるんだなと
母は思ったそうです。
あるとき、姉がにっこりと笑うので、
どうしたのか聞くと、
「あそこにね、かわいい女の子がいるんだよ。
あかいランドセルの子だよ」
と手を振ったりしていました。
看護師さんによると、
その女の子は見える患者さんが多いのだそうです。
病院内では「座敷童」で通っているそうです。
うわごとは日に日にたくましくなっていきました。
意識の具合にもよると思うのですが、
混濁が強いと、
「家族で旅行に行くんだ」
「退院したら、動物の保護センターを作るんだ」
「元気になるから、手伝ってほしい」
「お母さんとお父さんが心配だ」
「富士山に登りたいけど噴火が心配だ」
とりとめもない、心に浮かんだことがポロポロと
口からこぼれだしているようでした。
意識の混濁が少ないと、
「看護師さんたちにお礼を言わなきゃ」
「お母さんが毎日病院に来てくれてること、
当たり前だと思ってた。でも当たり前じゃないよね」
しゃべり方は相変わらず、うわごとのようでしたが、
少し考えて言葉を選んでいるような話し方でした。
そんな中、
「△△(私の名前)とお母さんには、
すごく手伝ってもらってるのはわかってるんだけど、
・・・足りないんだよね。」
・・・足りないの!?
そばで聞いてた看護師さんも
「○○(姉)さん、お母さんも妹さんもこれ以上できないと
思うんだけど・・・」
姉「ううん、足りないの。」
おもわず笑ってしまいましたが、
姉の本心なのでしょうね。
4か月前から四肢麻痺で
ずーっとベッドの上から動けず、
家にも帰れず、
お風呂も入れず、
おむつをつけることになって、
排便も排尿もできず、
食事も満足できず、
眠れず、
ガンの治療はできずに、過ごす日々。
できないことだらけで
過ごしてきた4カ月。
不満しかないのは当然です。
そんな心を私たちは
理解してあげていたでしょうか?
理解できていなかったと思います。
理解する余裕もありませんでした。
日々、追われていました。
姉は感謝の言葉を何度も言いました。
「ありがとねー
ありがとねー」
でもあるとき、
「○○ののぞみはね、
死ぬのがこわいの。
でも、息が苦しいのはもっとこわい。
安らかに死にたいの。
もうねむらせてほしい。
おねがい、先生よんできて。」
死にたいと言うようになりました。
ずっと死ぬことを拒んでいましたが、
多分相当危ないことは本人もわかっていたと
思うのです。
もう残りはわずかだと思いました。