かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
少し時間が戻ります。
オプソを初めて使用した日、
ぐっすり眠れたことで、
新たにパニックになってしまった姉。
本人はすごく焦っていました。
はやくガンをどうにかしなければ、
死んでしまう!!!
姉は要求しました。
食事療法です。
それまでも、私や母は毎日何かしらの
差し入れを持ってきていたのですが、
母は69才で
家に姉のネコが4匹いて、
慣れない姉の家で生活していました。
そこに何も協力しない父の世話をしながら
毎日病院通い。
私は自宅に
姉の猫2匹と自分の猫1匹(全く折り合えない3匹)がいて、
主人・子どもの世話と仕事を持っていました。
仕事が終わり次第、病院に向かう日々です。
母も私も無理のないように、
姉への食事を作っていたつもりでしたが、
姉には不満でした。
毎日同じような差し入れ(ほぼ煮物)、
中には出来合いのお惣菜で済ましてしまう日もあったからです。
(これはコロッケ等、本人が食べたいと言ったもの)
私と母が自分の健康を気遣ってくれていないと
思ったのだと思います。
私は決めました。
毎日お弁当を持ってくることにしました。
でも朝に作ることはできません。
姉が食べるのは早くても夕方5時。
作るとなったら仕事から帰ってきた後に
大急ぎで作って持って行くことです。
出来合いの食品は使えないので、
朝方に下ごしらえをしてから、昼過ぎに調理します。
仕事は訳を話して、1時間早く帰らせてもらうようにしました。
コロッケが食べたい。
お稲荷さんが食べたい。
ポテトサラダが食べたい。
ハンバーグが食べたい。
そのほかにもたくさんありました。
食べたいものは、全部作ってやろう、
母には無理だから、
料理が下手でも
私がやるしかない。
お弁当箱も
姉が愛してやまないネコにしました。
私にとっては、尋常でない日々でした。
家庭のことは、最低限しかできませんでした。
もう主人と子どもには勘弁してもらうしかありません。
自分のことは自分でやってくれと言い渡しました。
でも、
お弁当を作る日々は、数日で終わりました。
姉はオプソを使ううちに、
食欲も失くしてしまったからです。