かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。
ステージ3aと言われ、放射線治療の方針も決まったころ、
あれだけ嫌がっていた抗がん剤も受け入れることにしました。
「できることは全部やる。そして必ず治す。」
癌が動き出したことに、母はほぼ毎日泣いていました。
姉に死なれたらどうしよう、
おばあちゃんの時みたいになったらどうしよう。
なぜ6年前に見つかった時に手術を勧めたなかったんだろう、
なぜ「がんとたたかわない」医師に頼ってしまったんだろう。
姉も自分が癌について知ろうとしなかった、
都合の良いことだけ、自分に当てはめて考えていた。
癌を甘く見ていたことを後悔していました。
みんな誰かのせいにしたかったけど、それを選んできたのは姉と私たち家族。
「あの時あの選択をしていれば、今頃は・・・」
今でもその言葉は出ますが、あの時手術していても苦しんでいたかもしれないし、もうこの世にいなかったかもしれない。
姉は放射線治療に通い始めました。
あわせて抗がん剤治療も始まりました。
仕事はお休みをもらいました。
しっかり治して元気になるまで休んで良いと言われたそうです。
紹介していただいたこともあり、通常なら数週間待つところを、検査も含めてわずか一週間で治療が始まりました。
それだけ深刻な状態だったんだと、今になって思います。
放射線治療は、治療自体は5分程度ですが、通院するのが毎日なので大変そうでした。
初日に抗がん剤を打ったこともあり、数日たつと徐々に電車に乗ることがしんどくなりました。
数駅進んでは気分が悪くなって下車して休み、また数駅進む。
普通なら、自宅から1時間もあれば余裕で到着できる距離でしたが、2時間もかかるようになってました。
それを往復、土日を除いて毎日。全日一人で通いました。
合計25回の治療はなんとか無事に終了しました。
一番心配していた抗がん剤の副作用、脱毛。
これは思ったほど抜けませんでした。
毎日お風呂上りに多く抜けたようですが、髪の毛が薄くなったと感じることはありませんでした。
姉はすっごく気にしていましたが。
「こんなに抜けるなんて、こわい薬だよ~(泣)」
いやいや、髪の毛結べるほど残っているでしょ。
というか、お姉ちゃんもともと髪の毛多いし。
だれも気が付かないレベルだから。
まだまだこの時はかかわりのある人全員が
「治る」ことは絶対だと思っていました。