闘病を始める。 | 緩和ケアって何だろう?

緩和ケアって何だろう?

40才独身
子宮頸部腺がん3bから再再発。頚椎転移で下肢麻痺となり緊急入院!
転院先は緩和ケア病棟…。
壮絶な100日を過ごした後、セデーションを経て永眠。

緩和ケア病棟で過ごした時間は、苦痛を緩和できてたの??

かなぽんの姉、子宮頚部腺癌の闘病記です。

 

ステージ3aと言われ、放射線治療の方針も決まったころ、

あれだけ嫌がっていた抗がん剤も受け入れることにしました。

 

「できることは全部やる。そして必ず治す。」

 

癌が動き出したことに、母はほぼ毎日泣いていました。

姉に死なれたらどうしよう、

おばあちゃんの時みたいになったらどうしよう。

なぜ6年前に見つかった時に手術を勧めたなかったんだろう、

なぜ「がんとたたかわない」医師に頼ってしまったんだろう。

 

姉も自分が癌について知ろうとしなかった、

都合の良いことだけ、自分に当てはめて考えていた。

癌を甘く見ていたことを後悔していました。

 

みんな誰かのせいにしたかったけど、それを選んできたのは姉と私たち家族。

「あの時あの選択をしていれば、今頃は・・・」

 

今でもその言葉は出ますが、あの時手術していても苦しんでいたかもしれないし、もうこの世にいなかったかもしれない。

 

姉は放射線治療に通い始めました。

あわせて抗がん剤治療も始まりました。

 

仕事はお休みをもらいました。

しっかり治して元気になるまで休んで良いと言われたそうです。

 

紹介していただいたこともあり、通常なら数週間待つところを、検査も含めてわずか一週間で治療が始まりました。

それだけ深刻な状態だったんだと、今になって思います。

 

放射線治療は、治療自体は5分程度ですが、通院するのが毎日なので大変そうでした。

初日に抗がん剤を打ったこともあり、数日たつと徐々に電車に乗ることがしんどくなりました。

数駅進んでは気分が悪くなって下車して休み、また数駅進む。

普通なら、自宅から1時間もあれば余裕で到着できる距離でしたが、2時間もかかるようになってました。

それを往復、土日を除いて毎日。全日一人で通いました。

合計25回の治療はなんとか無事に終了しました。

 

一番心配していた抗がん剤の副作用、脱毛。

これは思ったほど抜けませんでした。

毎日お風呂上りに多く抜けたようですが、髪の毛が薄くなったと感じることはありませんでした。

姉はすっごく気にしていましたが。

「こんなに抜けるなんて、こわい薬だよ~(泣)」

 

いやいや、髪の毛結べるほど残っているでしょ。

というか、お姉ちゃんもともと髪の毛多いし。

だれも気が付かないレベルだから。

 

まだまだこの時はかかわりのある人全員が

「治る」ことは絶対だと思っていました。