夏椿きゃらきゃら笑う笑い猫 掌
◆夏椿・沙羅(しゃら)の花・姫沙羅・沙羅咲く・沙羅散る
ツバキ科の落葉高木。山地に自生する。
七月ごろ椿に似た五弁の白花をつける。
ヒメシャラをふくめてもいい。
夏の季語。
サンデ-モーニング朗読会
明日、7月20日
朔太郎「死なない蛸」を朗読いたします♪
前橋文学館 1Fロビー 11時30分から
どうぞ、ふらっとお出かけください。
死なない蛸
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。
もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。
そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、
いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。
そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、
幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。
どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、
彼は自分の足をもいで食つた。
まづその一本を。それから次の一本を。
それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、
今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。
少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。
外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。
曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、
なよなよした海草とが動いてゐた。
そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。
蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。
彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。
古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――
或る物すごい缺乏と不滿をもつた、
人の目に見えない動物が生きて居た。
リサイタル「萩原朔太郎をうたう」
2016年7月17日、
もう9年前になるのですね。
そのブログです。
◆写真家・小松健一さんが東京から駆けつけて、
演奏会の<雰囲気がわかるよう>と
撮影してくださいました。深謝。
こちらに。
http://www.kenichikomatsu.com/2016/07/no938.html
『月に吠える』初版本(復刻)による詩の朗読
休憩の展示コーナー(ちょっと反射しています)
『月に吠える』『青猫』『定本 青猫』、
短冊と原稿を展示し、復刻版ですので
手にとって見ていただきました。
Ⅱでは「萩原朔太郎をめぐって」
三好達治、山村暮鳥をとりあげて。
Ⅰ
萩原朔太郎『月に吠える』より
猫 牧野由多可 曲
旅上 團伊玖磨 曲
雲雀料理 〃
萩原朔太郎『定本 青猫』より
仏陀 あるいは世界の謎 石渡日出夫 曲
風船乗りの夢 〃
Ⅱ 朔太郎をめぐって
ピアノ独奏 ソナチネ ラヴェル
またある時は 三好達治 詩 中田喜直 曲
たあんき ぽーんき 山村暮鳥 詩 〃
木兎 三好達治 詩 〃
「黴」、この声歌曲
深尾須磨子:詩
橋本國彦:曲(画像)
もの憂い梅雨の頃、
女性の不安、寂しさ、畏れがたゆたう・・・
ちょっと長めですが、好きな曲です♪
https://www.youtube.com/watch?v=NYzB6rXZOpU
友人がyoutubeにアップして。