ほろほろとちらちらちるちる寒牡丹 掌
鬱兆す頭蓋に散らす花骨牌
この昨日の句、
詩人の清水哲男さん、
この句の世界を
鋭く、深く、読み込んでくださいました♪
生前、ご許可をえていますので、こちらに。
季語は「花骨牌(はなかるた)・歌留多」で新年。
今日は小正月、女正月だから、
昔であれば「歌留多」遊びに興じる人々もあったろう。
いまでも競技会は盛んなようだが、一般の遊びとしてはすっかり廃れてしまった。
ただし、句の花骨牌は花札のことで、百人一首の札などではない。
人によりけりではあろうが、
句のように「鬱(うつ)きざす」感覚は私にも確かにある。
さしたる理由もなく、気持ちがなんとなくふさいでくるのだ。
落ち込んでも仕方がないとわかってはいるけれど、
ずるずると暗い気分に傾いていく。こうなると、止めようがない。
その兆しのところで、作者は「頭蓋」に花骨牌を散らせた。
一種の心象風景であるが、百人一首や西洋のカード類ではなく、
花骨牌を散らすイメージそれ自体が、既にして「鬱」の兆候を示している。
花札は賭博と結びついてきた 陰湿な色合いが濃いので、
花や鳥や月といった本来は明るい絵柄が、
逆に人の心の暗さを喚起するからだろう。
べつに鬱ではなくても、
花札にあまり明るさを感じないのはそのせいだと思われる。
しかしこの情景は単に暗いのではなく、
どこかに救いも見えるのであって、
それはやはり花や鳥や月本来の明るさによるものではあるまいか。
頭蓋に散っている絵札のすべてが、
裏返しにはなっているのではない。
そこには本来の花もあれば、鳥や月が見えてもいる。
だから、暗いけど明るい。
明るいけど暗いのである。
花札の印象をよく特徴づけたことで、
句に不思議な抒情性がそなわった。
『漆黒の翼』(2003)所収。(清水哲男)