コンサートホールは<超楽器>!? 『超楽器』鷲田清一・高野裕子編 世界思想社 2025 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

『超楽器』鷲田清一・高野裕子編 世界思想社 2025

 

ふるえる空間=コンサートホールへ

 

 

コンサートホールは超楽器!?

 

音楽は奏者の演奏からの音が振動し、

 

ホール全体がふるへそれをお客様も享受する。

 

その同時性は、共感覚は

 

コンサートホールにいる醍醐味。

 

ステージで演奏したり、

 

多くの舞台を客席で体感してきました。

 

この著作のようにコンサートホールに焦点をあてた

 

アンソロジーはとても貴重では。

 

この<超楽器>という語は建築家・磯崎新氏によるもの。

 

 

 

◆本の紹介

 

豪華執筆陣16名による音楽エッセイを集めたアンソロジー!
コンサートホールを起点に鳴り響く16篇の物語
ジャングルの音、開演前のざわめき、神への祈り……
音楽の初源と極限がここにある
建築家・磯崎新氏のとなえた「ホール=超楽器」をひもとき、
音楽を愛するすべての人に贈る、珠玉のエッセイ集


【はじめにより】
 コンサートホールで聴くというのはしかし、どうもかなり特殊な経験のようです。

そこでは音楽をナマで聴くわけですが、物音一つ立てずに、ごそごそ動きもしないで、

まるで自分がそこにいないかのように、自分の存在を消して、じっと聴く。

いわゆる「集中的聴取」と言われるものです。

外界の騒音やノイズを厳重に遮断して、

沈黙のなかに音楽が純粋に現れ出るところに居合わせるという、

音楽へのこうしたふれかたには、いったいどのような意味があるのでしょうか。

音楽の純化なのか、それとも聴くひとががちがちになって聴く

「音楽のなれの果て」(小泉文夫)なのでしょうか……。

 なんとも捉えがたいこのコンサートホールという装置、あるいは場所が、

現代の音楽にとって、そしてこれからの音楽にとって、どのような意味をもつのか……

そうした問題を、音楽の専門家にかぎらず、音楽を愛好するいろんなひとたちに、

コンサートホールという装置の存在意義や

未だ気づかれていない可能性を幅広く問いかけてみようと考えました。

それを一冊の本に編んだのが本書です。


【目次】
プロローグ

第Ⅰ部 律動
ジャングルとコンサートホール  山極壽一
一度しかない出来事を繰り返すよろこび  堀江敏幸
第九から始まる心と街の復興  佐渡 裕
奏でるよりも聴くことで  三宅香帆
コンサートホールの「ざわめき」を考える  岡田暁生
[間奏曲]磯崎新の建築における音楽空間  五十嵐太郎

第Ⅱ部 旋律
神々に届く音  彬子女王
魔法の音楽  岸田 繁
指揮者としての原点  広上淳一
ゆらいとみらい、旋律の  小沼純一
[間奏曲]磯崎新さんと京都コンサートホール  豊田泰久

第Ⅲ部 交響
果てしない音楽の旅  沖澤のどか
ワーグナーの楽劇から広がる世界  金剛永謹
京都が生み出す、木琴の音色  通崎睦美
[間奏曲]京都コンサートホールのこれまでとこれから  高野裕子

エピローグ――楽器を超える楽器  鷲田清一


著者紹介
         編者紹介   (Amazonより)