安部完市 直筆のこの色紙、
阿部先生に書ていただきました。
2009年2月19日に旅立たれて。
<アベカン>と親しまれた阿部完市先生。
俳句はやわらかい言葉でつむがれていて、
非常に難解。
評論の緻密さは言うまでもないこと。
阿部完市氏に初めてお目にかかったのは海程の句会。
俳句を始めたばかりの秩父での俳句道場。
全国から海程の同人・会員が集まっての句会でのこと。
このとき問題になった句
「上陸す友人そして鶏も」、
野武士といった感のある関西古参から、
「なぜこんな句を主宰・金子兜太はとるのか!?」と
舌鋒鋭く発言があり、そこから議論の火蓋がきられ、
延々2時間あまりも一句に喧々諤々。
阿部完一氏も意見を求められ応戦。
最初は夕食後ということもあり宿の浴衣姿だったのが、
途中からスーツに着替えられ、論戦に臨む。
この句の作者が<阿部完市>であった。
2年ほど阿部完市先生の講義を受けた。
一回が3時間ほど。
論理・知識を明快に語る。
語り口は穏やかなのだが、中身は辛らつ。
「今の俳壇で俳句がいいのはいない。兜太がまあまあ。
兜太は言葉が剛腕
兜太のすごいのは大ホームランも大三振も平気で発表すること」などなど。
講義中でも俳句が浮ぶと、
中断してサッとメモをとるのが印象的だった。
地名の兼題が出て、
私の提出した句「えいさらえい熊野湯の峰桜騒」、
説経「をぐり」から「小栗判官」の道行きの道中を
さらさらと日本地図を描き解説してくださったことなど
懐かしい。
昼顔やかゆれかくゆれわれも昼顔 完市
この色紙、好きな句を書いてくださるとのことで、
句集『軽のやまめ』からこの句をお願いした。
この「軽」は軽皇子。
四国松山にあるという軽皇子(かるのみこ)の
お墓を教えていただき、訪ねたことも。
このお写真、
一見お公家さんのような風貌ですが、
「貧乏人でした」ともおっしゃっていました。
合掌。