臓腑まで、痛い!<暗黒詩人>大原テルカズ 句集『黒い星』1959年 芝火社刊 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大原テルカズという俳人、

 

その句集『黒い星』を紹介され、

 

コピーをコピーし、句集の全句を読むことができました。

 

 

大原テルカズを「暗黒詩人」ということも。

 

江戸川乱歩、夢野久作との通底する怪奇、怪異とも。

 

そうした乱歩や久作より、

 

さらに生々しく<痛い>。

 

その痛みはぎりぎりの<生>からの叫び、

 

<死>への希求というか、

 

その闇、その暗黒をみつめるまなざしその凄みは、

 

読み手をもさしつらぬく。

 

大原テルカズ、句をこちらに

 

 

 

笑う、つと唇切る夜の翳      

 

妹よ見よ眦かけて馬の汗

 

牡丹雪紺碧の肉天奥へ

 

怖いと生薄明の湖に触れ

 

馬糞散って蝶となる野に来るでない

 

鶏殺すこと待て海を見せてから

 

曲馬瞶る真紅一際漁夫の首

 

雲よ貌飲食(おんじき)にのみわが歓喜

 

末期(まつご)黄に炎える泥吐く予感の鷺

 

顔せに髑髏のあとや蕎麦を打つ

 

幼稚園葉桜吾子ら髑髏の実

 

扉の胸に月明の玻璃海の音

 

終湯に野良犬とわが四肢だぶる

 

 

 

 

 

◆大原テルカズ

 

1927年 3月20日千葉県に生まれる。本名・大原照一(読み同じ)。


1941年 「大原や蝶の出(い)でまふ朧月」(内藤丈草)という句を知り、

    千葉中学校3年生の夏休みより作句を始める。


1942年 俳誌『芝火』を知り、投句を始める。主宰の大野我羊に師事。

    太平洋戦争末期に同人となる。


1947年 法政大学経済学部入学。


1948年 結婚。


1949年 長女誕生。法政大学卒業。海神製鉄入社。『東虹』(大野我羊主宰)発刊に参加。


1953年 海神製鉄退社。


1954年 食堂経営を始める。


1956年 食堂経営が頓挫するが、後に復活する。


1958年 『俳句評論』(高柳重信による同人誌)創刊に参加。


1959年 第一句集『黒い星』(芝火社)を上梓。


1960年 連作「全市蝋涙」で現代俳句協会賞候補となる。

    火曜会(高柳重信・加藤郁乎等)のメンバーとして合同句集『火曜』上梓。

    大阪に移住する。『縄』(島津亮等による同人誌)に参加。


1963年 自身の出版社「新書林」より、生前に親交のあった

    中田有恒(1921〜1956)の没後句集『有恒句集』等を出版する。


1966年 第二句集『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』(八幡船社)を上梓。


1968年 『unicom』(加藤郁乎等による同人誌)に参加。


1980年 『俳句公論』(小寺正三主宰)10月号に

    無所属として「鶴と犬」という題で5句を発表。現在確認出来る最後の作品。


1995年 死去。没月日不明。