あのピカソ(1881-1973)の「ゲルニカ」、
その「ゲルニカ タピストリー」に会いに行ってきました!
なんと<群馬県立美術館蔵>!
驚きました!!
世界にたった3点あるだけ。
有名なのは国連の安保理。
その3番目のバージョンがこの美術館に。
油絵は1937年制作。
《ゲルニカ・タピスリー Guernica Tapestry》の
圧倒的な迫力。
1983制作、
モノトーン、
素材はウールと木綿。
縦 328×横 680.cm の巨大画面。
息荒くいななく馬、
ひとの目をもつ牛、
ちぎれた腕、兵士、
ありえない方向にひらかれた指、
死んだ子供を抱き、泣き叫ぶ女、
阿鼻叫喚が生々しく聞えてくる。
しばらく釘づけになり動けない。
現在ただいま、
戦火に炙られる人間のいるこの世界・・・
◆ピカソ「ゲルニカ タピスリー」
(群馬県立近代美術館ホームページより)
20世紀の巨匠パブロ・ピカソ(1881-1973)は、
その生涯に膨大な数の作品を残しました。
なかでも彼の生きた20世紀の歴史とともに振り返られる傑作の一つが
《ゲルニカ》(1937年 油彩・カンヴァス 349.3×776.6cm
マドリード、プラド美術館蔵、レイナ・ソフィア芸術センター寄託)です。
1937年、ナチス・ドイツは、前年に内戦が始まっていたスペインにおいて、
フランコ将軍が率いる反乱軍「国民戦線」を支援するため、
スペインの古都ゲルニカを無差別爆撃しました。
多くの市民が犠牲となった祖国の悲劇に強い衝撃を受けたピカソは、
わずか1ヶ月という短い時間で巨大なカンヴァスに《ゲルニカ》を描き出しました。
ピカソ独特の強い表現力によって描かれた、牡牛や馬、鳩などの動物たちや、
地面に倒れる兵士、死んだ子供を手に悲痛な顔をした母の姿。
戦争を引き起こす人間の暴力性と、
一方で同じ人間がその犠牲を強いられるという戦争の不条理を告発しています。
当館には、《ゲルニカ》とほぼ同寸大の
タピスリー(つづれ織り)が所蔵されています。
1983年に制作された第3作目にあたり、
色糸はピカソの指示にもとづき、
フランス・オービュッソンの染色師ピエール・シドラにより染められ、
灰茶色を主とした色調になっています。
《ゲルニカ》は、制作直後に開催された
パリ万国博覧会でスペイン館の壁面を飾った後、
第二次世界大戦勃発直前の1942年まで、
反ファシズム運動の象徴として世界各国を巡回します。
しかしながら「国民戦線」が政権を掌握していたスペインに戻ることはならず、
そのままニューヨーク近代美術館に寄託されます。
ようやく祖国への帰還を果たしたのはピカソの死後、1981年のことでした。
《ゲルニカ》は、完成された後にこの作品がたどった歴史そのものが物語るように、
いまなお平和へのメッセージを見る人に強く伝えてくれます。