萩原朔太郎の「盆景」 @感泣亭秋報 十二 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

『月に吠える』の頃の朔太郎

 

 

 

 

 

「感泣亭秋報 十二」への拙文です。

感泣亭通信のコーナーなので<手紙>として書いています。

 

 

 

         萩原朔太郎の「盆景」

                       山本 掌

 

 

『感泣亭秋報 十一』ご恵与ありがとうございました。

 

御礼を申し上げます。

 

毎号ごとにページが増え、

 

むろんのこと誌面の充実ぶり、感に堪えません。



 この号の特集は『四季』の若き詩人たち。

 

初めてその詩作品に触れることができたこと、ことのほかうれしい。

 

戦前の第二次『四季』に集う青年詩人、村中太郎木村

 

能美九末夫日塔の四人の、詩そして経歴や詩論が紹介されて。

 

お名前そのものも詩的。

 

註もそのページ左に記載され、とても読みやすいこと。

 

近藤晴彦氏『未刊ソネット』の成立事情についての稿。

 

 圧巻なのは、第六詩集『風毛と雨血』を紹介する

 

渡邊啓史による論考「精神の振幅」でした。

 

詩人小山正孝のその心象世界を、作品を、

 

精緻に分析してゆくそのみごとさ。

 

詩が立ち上がってきました。

 

詩を読み込む、とはこのようなことか、と感じ入りました。

 

 

 かつて萩原朔太郎が「四季」同人だったのは第二期でしょうか。

 

今年二〇一七年は『月に吠える』刊行百年にあたります。

 

その集中の「盆景」という詩、引いてみます。

 

 

 春夏すぎて手は琥珀 は水盤にぬれ

 

瞳(め)は水盤にぬれ

 

  石はらんすゐ、

 

いちいちに愁ひをくんず、

 

みよ山水のふかまに、

 

ほそき瀧ながれ、

 

瀧ながれ、

 

ひややかに魚介はしづむ。

 

 

朔太郎も盆景に惹かれたのでしょうか。

 

ひりひりと感覚が、神経が剝きだされた詩ではなく、

 

ひんやりとしずかな佇まい。

 

<>という小宇宙にひとり散策していたのかもしれません。

 

この「石はらんすゐ」がわからない。

 

「らんすゐ」は正孝氏の父上・盆景の第一人者

 

「譚水」のことかとも思ったり。

 

ご存知でしたら、お教えくださいませ。

 

その朔太郎の「月に吠える」展が

 

萩原朔太郎記念 前橋文学館で催されています。

 

お時間があうようでしたら、ご覧ください。

 

 

どうぞお元気で、ご活躍を。

 

 

 

 

 

 

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