スコセッシ監督「沈黙ーサイレンス」 @ユナイテッド・シネマ前橋 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
遠藤周作『沈黙』、

スコセッシ監督「沈黙ーサイレンス」を観る。
 

江戸初期、キリシタン弾圧下の長崎へ

二人の、そして最後の司祭が渡る。
 

全編をつらぬく映画のただならぬ緊迫感、

重い問いかけが突きつけられる。
 

あまりにも陰鬱ともいえる空、

潮の流れ、激しい海、

それより過酷な信仰への弾圧。
 
静謐な画面。


ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)、

ひたむきな神への、自身への問いがその身をさいなむ。

飢えてむさぼり飲む水に映ったその顔は

神を信じても信じても、

見出しえないその存在への疑心、

ほぼ狂気といっていいほどの

なすすべもない己自身への自嘲、

・・・あの笑いの凄まじさ。
 
 
フェレイラ神父・リーアム・ニーソンの
 
棄教した深い苦悩のまなざしが、
 
その後の苦い生が切々と迫る。
 
 
イチゾウ(笈田ヨシ)はもとより

モキチ(塚本晋也)の殉教すらいとわぬ

痛ましいまでの信仰・信念を支えるものはなにか。

塚本に眼をみはる。
 

そのキリシタン狩り、弾圧を行なう

井上筑後守(イッセー・尾形)の老獪さ。
 
ほがらかなほど、

残忍さ、その強権がひたひたと迫ってくる。
 


原作を読み、

篠田監督の「沈黙」を観、

松村禎三(まつむら ていぞう)のオペラ「沈黙」観た。


なおその問いは観るものに

問い続ける。



◆映画「沈黙ーサイレンス」

監督マーティン・スコセッシ


セバスチャン・ロドリゴ:アンドリュー・ガーフィールド

フランシス・ガルペ:アダム・ドライバー

井上筑後守:イッセー・尾形

モキチ:塚本晋也

イチゾウ:笈田ヨシ

クリストバン・フェレイラ:リーアム・ニーソン

ヴァリニャーノ:キアラン・ハインズ
浅野忠信通辞


◆公式サイト
  http://chinmoku.jp/



◆予告編
  https://www.youtube.com/watch?v=0cUtOR-DL1A