(笙 ウキペディアより)
<催馬楽>を伶楽舎の笙の友人とかつて演奏した。
催馬楽は平安時代に俗謡、民謡などを
雅楽の「歌もの」として編曲したもので、
宮内庁楽部に伝承している。
「なにかいっしょに演りたいね」ということから、
「催馬楽」をとりあげた。
「五線譜でないと譜読みができない」と私。
「明治選定譜は五線譜になっているよ」
これは、明治になって天皇が東下りをしたときに、
京都、奈良の楽師たちも同行し、
いままでの催馬楽や朗詠などを選び、
「明治選定譜」としたとのこと。
本来の催馬楽は句頭(くとう)と呼ばれる独唱から始まり、
笏拍子(しゃくびょうし)を打ちながら拍子をとり、
付所(つけどころ)と呼ばれる部分から他の歌手が斉唱し、
斉唱と同時に笙・篳篥・龍笛・琵琶・箏が入りますが、
笙は管絃のときのように和音を奏するのではなく、
1音または2音で旋律を演奏(一本吹き)。
それを歌(メゾソプラノ)と笙一本で、
曲として再構成をして、演奏できるように創った。
というものの、声のよる<うた>なのだけれど、
いままでやってきた呼吸法やベルカント唱法で
歌うのは、なにか息が逆流するような苦しさ・・・
われかれの世界の違いをしっかりと体感した。
歌ったのはこの二曲「伊勢之海」と「更衣(ころもがえ)」。
「伊勢之海」は「源氏物語」の須磨へ光君が流され、
その地でつれづれに管弦の遊びをし、
そのおりに謡ったのがこれ。
コンサートでは狩衣(かりぎぬ)を着用し、
笏拍子(しゃくびょうし)を打った。
◆催馬楽 プログラム・ノート
催馬楽というのは平安時代に中国からの雅楽が日本化する時、
各地の民謡、わらべうた、風俗歌を編曲した歌曲で、
その語源は、馬子が馬を引きながら歌った歌といわれる。
宮廷や貴族社会の<管絃の遊び>でもてはやされ
「枕草子」「源氏物語」にも書かれ、現在は宮内庁樂部が伝承している。
催馬楽の編成は斉唱と、琵琶、笙、篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)、
筝(そう)の雅樂のオーケストラで合奏される。
この度はソロ歌と笙で新たに構成したものを演奏。
今から千年も前の曲を自分の声で歌いうるこの不可思議。
演奏の装束は狩衣(かりぎぬ)という平安朝のメンズカジュアルを着用。
<伊勢之海>
伊勢の海の 清き渚に しおがい潮間に
神馬藻(なのりそ)や摘まむ 貝や拾はむ 玉や拾はむ
<更衣(ころもがえ)>
衣がへせんや しゃ公達(きんだち) 我が衣(きぬ)は
野原篠原(のはらしのはら) 萩の花摺(はなす)りや しゃ公達や