萩原朔太郎「風船乗りの夢」、
この詩も1936年刊行の『定本 青猫』 に収められている。
1923年刊の『青猫』には入っておらず、
この『定本 青猫』を編集しなおし、加えられた。
風船乘りの夢
夏草のしげる叢(くさむら)から
ふはりふはりと天上さして昇りゆく風船よ
籠には舊暦の暦をのせ
はるか地球の子午線を越えて吹かれ行かうよ。
ばうばうとした虚無の中を
雲はさびしげにながれて行き
草地も見えず 記憶の時計もぜんまいがとまつてしまつた。
どこをめあてに翔けるのだらう!
さうして酒瓶の底は虚しくなり
酔ひどれの見る美麗な幻覺(まぼろし)も消えてしまつた。
しだいに下界の陸地をはなれ
愁ひや雲やに吹きながされて
知覺もおよばぬ眞空圏内にまぎれ行かうよ。
この瓦斯體もてふくらんだ氣球のやうに
ふしぎにさびしい宇宙のはてを
友だちもなく ふはりふはりと昇つて行かうよ。