萩原朔太郎『月に吠える』入手(復刻版)! | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。


「月に吠える」表紙

             『月に吠える』装画



『月に吠える』萩原朔太郎・第一詩集、

1917年刊。



「月に吠える」口絵
『月に吠える』口絵


印象的な田中恭吉の装画に飾られ、

口絵は金地黒の人体やひかりが印象的。

ところどころにはさまれる挿画も田中作品。




天





本の上、天もペーパーナイフで

いちまい一枚、切ってゆく仕様。

復刻版でもそのように造られているのがうれしい。


詩を一編一編、

まさに味わうようにたどってゆく。

活版の活字の風合い、

その組み方にも魅かれる。



「月に吠える」奥付








◆ 田中恭吉(たなか きょうきち)1892-1915

1892(明治25)年4月9日、和歌山市に生まれました。

1910(明治43)年、県立徳義中学校を卒業するのと前後して上京し、

約1年間白馬会原町洋画研究所に通い、

翌年東京美術学校日本画科に入学しました。
 

しかし旧態的な日本画教室にだんだん懐疑を抱くようになり、

研究所の頃からの友人、藤森静雄や大槻憲二(おおつき けんじ)、

土岡泉(つちおか いずみ)らと同人雑誌『ホクト』を作ったり、

竹久夢二(たけひさ ゆめじ)や彼の仲間の香山小鳥、

恩地孝四郎らとの交流に精力を傾けるようになります。


ほかにも第1回ヒュウザン会展に出品したり、

雑誌『少年界』や『少女界』で筆を振るったり、

新たな同人雑誌『密室』を制作するなど、

積極的な制作活動をおこないました。
 

しかし、1913(大正2)年、

肺結核を発病してしまいます。

その後すぐ木版画を手がけはじめ、

静養のため故郷に戻りますが、

新作を親友の藤森や恩地と郵便で交換しあい、

制作を続けました。


そして1914(大正3)年、

3人による詩と版画の雑誌『月映(つくはえ)』を創刊します。
 

死を予期した恭吉の創作はますます緊張感を増していき、

木版画をつくる体力がなくなると

ペン画や詩歌の表現が中心になっていきました。


1915(大正4)年10月23日、和歌山市内の自宅で逝去しました。

享年23でした。
 

その後、恭吉の作品は、

1917(大正6)年に刊行された

萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に取り上げられ、

人々の記憶に残されました。(愛知県立美術館「田中恭吉展」より)