プリマ・ドンナ<喜波貞子>をご存知ですか? 松永伍一『蝶は還らず』 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

「蝶は還らず」




長崎のグラバー邸に

プリマ・ドンナ<喜波貞子>の

オペラで用いた衣装・小物など数々の品々が

展示されている。


喜波貞子(きわ ていこ)とは

1902-1983 大正-昭和 時代のソプラノ歌手。

明治35年11月20日横浜生まれ。

祖母は山口きわ,祖父は来日 オランダ人薬学者のヘールツ。

17歳で単身ミラノにいき,大正11年「蝶々夫人」でデビュー 。


松永伍一『蝶は還らず プリマ・ドンナ喜波貞子を追って』

をふと手にし、知った。

松永伍一、ほんの糸のような手がかりから、

喜波貞子を追って、迫ってゆくその道程は

奇跡的と言っていいほど。


ブックデータよりひくと

ポーランド・ワルシャワの元監獄で、

著者は一体の手作りの日本人形を見つけた。

誰が誰をモデルに作ったものなのか。


謎を追ううちに1920、30年代のヨーロッパで

圧倒的な人気を集めたプリマ・ドンナの存在を突きとめる。


オランダ人医師と日本女性を祖父母に持つ

彼女の「蝶々夫人」はヨーロッパ中を魅了した。

ポーランド人の夫は抗独レジスタンスの闘士として

彼女の陰で謎めいた行動を示す


―ミラノ、リスボン、パリ、ワルシャワ、ウィーン、

横浜、ニースと6年の歳月をかけた追跡で

ミステリー・ゾーンの中から

華麗な人物像が浮び上った。


第二次大戦前のヨーロッパに一瞬の光芒を放った、

日蘭混血のオペラ歌手。

ヨーロッパ各地を巡って掘り起した会心の

スクープ・ノンフィクション」とある。


蝶々夫人の喜波貞子



喜波貞子、横浜でゆたかに育ち、

母親は宮内庁御用達のオートクチュールを経営し、

数々のコンサートやオペラを見て、

「私はオペラ歌手になる」といったのは3歳のこと。

横浜で声楽をテノール歌手アドルフォ・サルコリに習う。

(余談になりますが、

萩原朔太郎がマンドリンを習ったのはこの人。

このサルコリ、マンドリン工場に働いていて、

その美声を認められてオペラ歌手に)


ミラノに単身留学し、その2年後には

スペインで「蝶々夫人」でデヴュー。

その活動期間は第二次世界大戦あたりまで。

その後はニースに居をかまえ、後進の指導。


その間のドラマティックな生涯、

その足跡を松永が丁重に、熱く、

辿ってゆく道のりは

この『蝶は還らず』をお読みいただきたい。




◆長崎「喜波貞子展」中ほどから画像
   
 http://hiroonechan.fc2web.com/nagasaki/nagasaki10.htm



◆ youtube 喜波貞子「ラ・パロマ」
  https://www.youtube.com/watch?v=ZosFnRa-LsQ