萩原朔美氏×三浦雅士氏「孫が語る萩原朔太郎」 @萩原朔太郎記念 前橋文学館 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

萩原朔美




「孫が語る萩原朔太郎」
萩原朔美(映像作家)さん、三浦雅士(文芸評論家)さんによる対談。

お二人は50年にわたる交遊とかで、
とても和やかな雰囲気。
三浦さんが詩誌「ユリイカ」の編集長をしていたときに、
原稿を依頼したのがきっかけとのこと。

朔太郎1942年に没、
その4年後に朔美さんが誕生。

「お祖父さんとしてでなく、詩人朔太郎体験は?」の質問に、

「詩はまったく読まなかった。
家に草野心平、三好達治、さまざまな詩人が来ていて、
みんな酔っぱらっていた。
のちにあの人たちがこんな素晴らしい詩を書いていたのか、
と驚愕した」。


「中学の国語の授業で『好きな詩を発表する』というときに、
朔太郎の孫はいったいどんな詩を読むか、
先生をはじめクラスメイトがかたずをのんでいるとき、
草野心平の一行詩<凧凧・・・>を朗読したところ、
いっせいにしら~とひかれた」。


「今日もここに来るので『月に吠える』を読んできた。
52編にうち半分以上に<手>がでてくる。
これは<外>と<内>との境界ではないか。
身体性と外部とのはざまにこだわったのではないか」。


「朔太郎は医者の息子で四六時中
アルコール消毒の臭いのなかにいて、
あるいは死臭を嗅ぎ、そこここに血や臓器がある、
あの神経の鋭敏すぎるものにとっては
このことが朔太郎に多大の影響を及ぼしたのでは」

などなど。


さらに萩原葉子の息子であることでも親しかった、
西脇順三郎、山本太郎、森茉莉のこと、
そして寺山修二、美輪明宏などのエピソードが次々に話され、
多岐にわたった。


萩原朔美×三浦雅士




あっという間に1時間半の対談時間をオーバー。
お二人とも早口なので、
みっしりと詰まった対談となって。


じつに愉しいひととき。


(画像は萩原朔美FCより)