「若冲と蕪村展」を観にサントリー美術館へ。
あの若冲とかの蕪村が1716年生まれと知ったのは
この展覧会のチラシによって。
なんとも愛らしい「寒山捨得図」、
筆のなんと勢いのあること。
若冲の「象と鯨図」は初見だった。
蕪村の俳画はいままでにずいぶん観たが、
山水画、水墨画の画業を
今回たっぷりと観ることができた。
芭蕉を敬愛し、100年忌をみずから
執り行っている蕪村の筆による
「おくのほそ道」を観ることができたのは収穫。
その旅程の数々の画は知っていたが、
「月日は百代の過客・・・」からすべて筆写し、
画がかかれた絵巻となっていた。
展示も時代ごとに並列し、
とてもよい構成。
生誕300年の絵師による競演を堪能した。
5月10日(日)まで。
◆サントリー美術館 ホームページ
正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)という
ふたりの天才絵師が誕生した、
江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、
京都にある青物問屋の長男として生まれ、
23歳の時に家業を継ぎますが、
30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、
40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、
大坂の農家に生まれ、
20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。
27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、
北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。
その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、
蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、
簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。
一見すると関連がないようですが、
ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、
若冲と蕪村の代表作品はもちろん、
新出作品を紹介するとともに、
同時代の関連作品を加えて展示し、
人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、
彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の
最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
◆展示構成、画像はこちらから。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/display.html