徳川頼貞をご存知でしょうか?
『音楽の殿様』2012年刊 藤原書店 村上紀史郎著
この本で初めて知った。
德川 賴貞 (とくがわよりさだ)
1892年(明治25年)8月16日 - 1954年(昭和29年)4月17日)
日本の音楽学者、政治家、実業家。
爵位は侯爵。
有職読みで「ライテイさん」と呼ばれた。
紀州徳川家のお殿様、
日本の西洋音楽を牽引し、
そのためいまの金額に換算して1500億を蕩尽した。
唯一知られているのは日本で初めてパイプオルガンを
備えた私設コンサートホールを創設。
そこに併設された音楽関連の図書館。
なにしろ音楽史に出てくる作曲家との交流のすごさ、
サンサーンス、ダンディをはじめ
あのプッチーにとは「蝶々夫人」について語りあい、
コルトー(ピアノ)がティボー(ヴァイオリン)とカザルス(チエロ)とともに
頼貞ひとりのためにベートーヴェンのピアノ三重奏を演奏するなどの
エピソードの数々。
王侯貴族、皇帝、さらには法王との謁見などなど。
桁違いのスケールでの交流。
そこには音楽への深い愛情からの、
果さなければならない社会的責任と義務という
ノーブレス・オブリージュがあった。
まさに<音楽のパトロン>として生きた頼貞。
その評伝『音楽の殿様』、
手にとってみてはいかが。
●出版社からのコメント
徳川頼貞の名前は、いまほとんど知られていない。
日本の西洋音楽史を紐解いてみても、頼貞が登場するのは、
わずかに《日本で初めてパイプ・オルガンを備えた
コンサート・ホール(南葵楽堂)を創設したこと》と、
それに付随する音楽図書館の《コレクション》程度である。
なぜ、徳川頼貞は、音楽史から消えてしまったのだろうか。
調べ始めると、おおよそ、こんな人物像があらわれた。
頼貞は、西洋かぶれで、浪費家で、
現在の金額にして1500億円ともいわれる膨大な資産を食い潰した、といわれている。
西洋音楽をこよなく愛する浪費家。
それも半端なスケールではない金遣いの荒さ。
遣い方も、音楽に関しては金に糸目はつけない、
と自分なりのポリシーがありそうだ。
そして、徳川一族という出自からくる係累と国内外の多方面にわたる交友関係。
徳川頼貞とは、どんな人なのだろう――
(本書プロローグより)
――食事が終わると、一同は客間に出た。
するとコルトーが、ティボーとカザルスを誘って、
頼貞のために演奏してくれたのである。
曲はベートーヴェンの 「ピアノ三重奏曲第七番変ロ長調《大公》」と
メンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲」であった。
でもこれは、なんという僥倖だろう。
世界の超一流のヴィルトゥオーゾ三人が、
たった一人の男のために演奏したのである。
それも、今でも名盤として語り継がれている曲を――
(本文より)
●内容(「BOOK」データベースより)
プッチーニ、サン=サーンス、カザルスら世界的音楽家と親交を結び、
日本における西洋音楽の黎明期に、
自費で日本初のオルガン付音楽堂を建設、
私財を注ぎ込んでその普及に努めた、
紀州徳川家第十六代当主の破天荒な生涯。
● 徳川頼貞 ウキぺディァ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E9%A0%BC%E8%B2%9E