「おくほそ道」を朗読しました。
高崎演奏家協会の5月例会、
いつもは19時からですが、
ホールの関係で14時から。
150~200席のスペース。
うたい語る「おくのほそ道」のコンサートでは
語りの専門家が紀行文を読みますが、
自分の勉強のため、
このところ<朗読>を稽古しています。
定本は新潮古典集成『芭蕉文集「おくのほそ道」』を使用。
よく「奥の細道」ではないか、とおたづねがありますが、
芭蕉が本にしたときの表記は「おくのほそ道」。
今回は冒頭の「月日は百代の過客にして・・・」~
立石寺、最上川、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)、
象潟(きさかた)まで。
よくご存知の句がずらり。
「おくのほそ道」の原文を朗読するのにあたって、
いくつか読みをかえたりすることも。
(芭蕉の文に畏れ多い・・・)
ひとつには漢字をひらいて。
「雲霧」これは「うんむ」ですが、
文字を見ればすぐにわかるのですが、
このまま耳で聞くのだと(一瞬ですし)
意味をとらえにくい。
これを「雲(くも)」、「霧(きり)」に。
たとえば和歌。
「花のうへ漕ぐ」と引用されています。
すぐに西行法師の和歌がうかぶという前提でしょうが、
「象潟の桜は波に埋もれて花の上漕ぐ海士(あま)の釣舟」
と声にして。
などなど・・・
「朗読」、やってみて感じるのは
うたとは<声>を置く場所が異なる、
使う筋肉が違う、
歌うときより1オクターブ以上、低い。
などなど・・・
うたも朗読<生>の声でやるのですが、
こんなに違うのか(!?)を体感。
なお、
コンサート<うたい語る「おくのほそ道」>では
<うたい>ます(笑)。