草の戸も住み替わる代ぞ雛の家 「おくのほそ道」Ⅱ | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

「おくのほそ道」最初の句。


  草の戸も住み替わる代ぞ雛の家         芭蕉


こんなささやかな草庵も流転の相から

逃れることもなく住人が変わって、

隠者のごとき私の出たあとは、

雛人形を飾る娘たちの住居と

なることであろうよ       
                   新潮古典集成「芭蕉文集」より





作曲は清水修。

清水は(1911~1986)明治44年、天王寺の佛足寺に生まれ、

幼少のころより「雅楽」に親しみ(注1)

小学校6年のころに山田耕筰の日露交換交響楽大演奏会に刺激されて、

音楽への情熱をかきたてられます。


八尾中学(注2)から、大阪外国語学校フランス語科に進学、

卒業後一時、阪大病院に職員として就職しますが、

音楽へのおもいを断ち切れずに、

東京音楽学校選科作曲部(現 芸大)で作曲を学びます。

(注1)この幼少時の経験が、後の清水の作曲活動に活かされることとなります。

(注2)当時の旧制中学は「音楽」の時間もまともにはなく、

講堂にオルガン1台だけという状況で、

音楽などやるものは男のくずだと言われたものです。

しかし、このような中でも清水の音楽への情熱は

消えることはありませんでした。

清水は成績も良くまた剣道の名手でもあり、

まさに「文武両道」そのものでした。

 
昭和14年に管弦楽曲「花に寄せたる舞踏曲」で

第8回音楽コンクール作曲部門第1位入賞の栄に浴します。

さらに昭和26年には「インド旋律による楽章」を、

29年にはわが国オペラの優れた作品といわれる

「修善寺物語」を作曲(文部大臣賞)、

49年には長田秀雄原作のオペラ「大佛開眼」

48年には「吉四六昇天」と多くのオペラ作曲を手がけています。


そしてこの間文部大臣賞のほかに、

毎日音楽賞、大阪市民文化賞、山田耕筰賞などを受賞しています。



オペラ以外にも「親鸞」「蓮如」「歎異抄」などの佛聖歌の大作、

「智恵子抄」「奥の細道」「月光とピエロ」(堀口大学の詩)などの

歌曲、合唱曲など多岐にわたっています。


そして清水は、合唱団の育成、合唱音楽の普及に尽力。

日本プロ合唱団連盟委員長、日本合唱協会代表をつとめるなど文字通り、

日本合唱の父と呼ばれています。

因みに「東京オリンピック讃歌」(佐藤春夫作詞)も

清水の作曲によるものです。


著書も「わがオペラの軌跡」「ベルリオーズ回想録」

「標準音楽通論」など多数。

                    ネットより引用



●清水修 作品データ
 http://home.u05.itscom.net/soujutei/gakufu.htm