チラシの一部 版画:竹内英梨奈
「極楽金魚」遠藤啄郎(作・演出)を観る。
前橋のギャラリー・ノイエス朝日において。
通常のイベントは椅子席なのだが、
演目からか、YBT(横浜ボートシアター)のためか、
座布団席も用意されている。
今回は影絵人形芝居での上演。
吉岡沙矢はひとりで人形を使い、物語を語る。
音楽は松本利洋。
人形制作は竹内絵梨奈。
作品は四国高松の郷土人形「ほうこうさん」の
由来話によるもの。
吉岡は位置の確かな<声>で
長者・おさき・太郎(長者の息子)・巫女たちを
くっきりと造形。
音楽(エレキギター・作曲家)が物語りの背景を、
叙景を描き、寄り添い、
また挑発するかのように絡んでくる。
この前に樋口一葉「軒もる月」の語り。
あとに遠藤のレクチャー。
「極楽金魚」、「仮面」について。
「極楽金魚」、初めはラジオドラマ、
そこから芝居になり、ヨーロッパ各地で公演、
結城人形座などいろいろな形態を
とってこの作品を上演してきた経緯を聞く。
ギャラリーに30点ほどの仮面が展示されている。
この仮面も遠藤の制作。材質は皮。
日本の演劇で仮面を用いているのは「能」とYBSのみ。
YBSの仮面は全面のほか、半面も。
半面は役者の型を取り、その唇のラインにあわせ、成型。
こうすることで科白をひびきやくする、とのこと。
吉岡が三種類の面をかけ替えて、
パフォーマンス。
充実したイベントであった。
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遠藤啄郎(えんどう たくお)は、
日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。
第18回紀伊国屋演劇賞受賞、横浜市民文化賞(2001年)、
横浜ボートシアター代表。
1928年、神奈川県平塚に生まれる。
1952年、東京芸術大学油絵科卒業後、個展グループ展などで作品を発表。
1959年頃より、ラジオ、オペラ、ミュージカル、舞踊、人形劇、
演劇などの脚本ならびに演出家に転向。
舞台作品の日本国外での公演も多く、ヨーロッパ、
アメリカ、アジアなど30都市におよぶ。
長期公演としてはパリのオルセイ劇場での、
人と人形の劇「極楽金魚」の一ヶ月公演がある。
1981年、横浜の運河に浮ぶ木造船内を劇場とし、
横浜ボートシアターを結成。
その後、多摩美術大学映像演劇科、
日本オペラ振興会、オペラ歌手育成部などで講師をつとめる。
<代表作>
「つげかいどう・よしはるむら・あざ…」つげ義春原作(芸術祭参加)1971年
「小栗判官・照手姫」(第18回紀伊国屋演劇賞受賞)、
「若きアビマニュの死」
「王サルヨの婚礼~魔縁の妃~」
「仮面の四季」(セゾン劇場特別公演)
「夏の夜の夢」(シアターコクーン、プロデュース公演)
「龍の子太郎」(青山劇場五周年記念)
「耳の王子」(横浜ボートシアター・インドネシア国立芸術大学共同作品)
「OGURIとTERUTE」(シアターχプロデュース
ケイ・タケイとのコラボレーション作品)
<著作>
「極楽金魚」(フレーベル館)
写真集「横浜ボートシアターの世界」(リブロポート)、
脚本集「仮面の聲」(新宿書房)
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「極楽金魚」あらすじ
四国にある場所で伝わる病気の子に添い寝させると
病気も不安をも吸いとってくれ、
朝に海に流すという「奉公さん人形」にまつわる話し。
昔、おさきと言う貧しい家の娘が居た。
家が貧しい為に、長者に奉公人として買い取られいった。
おさきは長者の家に代々伝えられている
「頂天眼(ちょうてんがん)」という黄金の金魚を
拝みたいとの願いを持っていたので、
身の不幸とは思っていなかった。
ある日、長者の長男である太郎が重い病にかかった。
しかしどんな治療を行っても回復の兆しが見えない。
長者は太郎の回復を願い、山の巫女の言うままに、
病気の根元であると言う太郎に憑いたイズナを
太郎から追出す為に
おさきを生け贄する事を考えた・・・