詩人・萩原恭次郎 詩碑 @ まえばし散歩 Ⅴ | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

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詩人・萩原恭次郎(1899-1938)をご存知ですか?

前橋の詩人で詩集「死刑宣告」など。

昨日の群馬大橋を渡ったちょっと左・橋の西詰に

恭次郎の詩碑があります。


<萩原>姓ですが、萩原朔太郎との姻戚はありませんが、

「兄」のように慕っていた、とのこと。


書は友人の高橋元吉によるもの、やはり詩人で、

明治からの書店「煥乎堂」の主でもありました。
(いまも営業中)


  無題         萩原恭二郎

汝は 山河と 共に生くべし

汝の名は 山岳に 刻むべし

流水に 画くべし



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利根川を見下ろすところに詩碑があり、

さくらの大木が川面に枝を伸ばし、

さくらのころはここへ。

車も通らず、川沿いに群馬大橋を見ながら

そぞろ歩くのがとてもいい。


散歩道はこの画像よりずっと整備されてしまって。

(画像はネットからお借りしました)




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萩原恭次郎(1899-1938)

当時の勢多郡南橘村日輪寺(現在の前橋市日輪寺町)の

農家の次男として生まれ12歳まで過ごした。

石倉に住む叔母の養子となり、前橋中学を卒業した。


その後、坪井繁治、岡本潤などを知り

前衛芸術運動の旗手として活躍し、

雑誌「赤と黒」を創刊。


大正11年詩集「死刑宣告」を出版した。

「死刑宣告」は写真版などを多くとり入れたり

活字の大きさを変えたりし、

詩の行も上下左右から始まるといった斬新な手法を取り入れ、4

近代詩に変革をもたらしたと高く評価されている。


その後、アナーキズムに傾倒し、

「黒旗は進む」を創刊したが1号で終わり、

石倉に帰ってその活動を続けた。

1932(昭和七)年「クロポトキンを中心とした芸術の研究」を創刊し、

第1号に農民詩の傑作といわれている「もうろくずきん」を発表。


その後、高橋元吉の勧めで煥乎堂書店に勤めたが

1938(昭和13)年、溶血性貧血のため39歳で没した。


碑文は昭和13年の作。

書は友人高橋元吉のものである。


昭和34年4月に建立された。

昭和34年は恭次郎没後20年である。