花骨牌・はなかるた | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。









   鬱きざす頭蓋に散らす花骨牌                          掌









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「増殖する俳句歳時記」

詩人の清水哲男さんのサイトで

取り上げていただいた句。


昨日の小正月の「餅花」から、骨牌(かるた)へ。



◆清水哲男さんの句評を以下に。

季語は「花骨牌(はなかるた)・歌留多」で新年。


今日は小正月、女正月だから、

昔であれば「歌留多」遊びに興じる人々もあったろう。

いまでも競技会は盛んなようだが、

一般の遊びとしてはすっかり廃れてしまった。


ただし、句の花骨牌は花札のことで、

百人一首の札などではない。


人によりけりではあろうが、

句のように「鬱(うつ)きざす」感覚は

私にも確かにある。

さしたる理由もなく、

気持ちがなんとなくふさいでくるのだ。

落ち込んでも仕方がないとわかってはいるけれど、

ずるずると暗い気分に傾いていく。

こうなると、止めようがない。


その兆しのところで、

作者は「頭蓋」に花骨牌を散らせた。

一種の心象風景であるが、

百人一首や西洋のカード類ではなく、

花骨牌を散らすイメージそれ自体が、

既にして「鬱」の兆候を示している。


花札は賭博と結びついてきた 陰湿な色合いが濃いので、

花や鳥や月といった本来は明るい絵柄が、

逆に人の心の暗さを喚起するからだろう。


べつに鬱ではなくても、

花札にあまり明るさを感じないのは

そのせいだと思われる。


しかしこの情景は単に暗いのではなく、

どこかに救いも見えるのであって、

それはやはり花や鳥や月

本来の明るさによるものではあるまいか。


頭蓋に散っている絵札のすべてが、

裏返しにはなっているのではない。

そこには本来の花もあれば、鳥や月が見えてもいる。

だから、暗いけど明るい。

明るいけど暗いのである。


花札の印象をよく特徴づけたことで、

句に不思議な抒情性がそなわった。


 山本 掌『漆黒の翼』(2003)所収。




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清水哲男「増殖する俳句歳時記」
 
 http://zouhai.com/