「ダイオウゾクムシ」は
みずから食事・餌を拒んでいた。
ふと思い出されるのは餌を忘れ、
その存在まで忘れられた「蛸」がいた、と。
萩原朔太郎『宿命』にある散文詩「死なない蛸」。
ご存知の方も今一度、こちらをどうぞ。
死なない蛸 萩原朔太郎
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、
いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。
もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。
そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、
いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。
そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、
幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。
どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、
彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。
それから次の一本を。
それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、
今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。
少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。
外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、
すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、
水槽の中は空つぽになつてゐた。
曇つた埃つぽい硝子の中で、
藍色の透き通つた潮水(しほみづ)と、
なよなよした海草とが動いてゐた。
そしてどこの岩の隅隅にも、
もはや生物の姿は見えなかつた。
蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。
彼が消えてしまつた後ですらも、
尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。
古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――
或る物すごい缺乏と不滿をもつた、
人の目に見えない動物が生きて居た。
司修『エレナ』萩原朔太郎〔郷土望景詩〕幻想 1993年 小沢書店
司修『幻想』萩原朔太郎〔郷土望景詩〕2006年刊 勉誠出版
からひいた。
朔太郎の詩に司修が各6葉の画を描いている。
それぞれの本でまったく異なった挿画、
造本になっている。
『エレナ』は四六版より大型。
『幻想』は文庫版。
ともに画がたっぷり。
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萩原朔太郎の処女詩集『月に吠える』は大正六年(一九一七)に
上梓されている。
それから約二十二年後の昭和十四年(一九三九)に
最後の詩集『宿命』が自選詩集の形で発表されている。
詩集『宿命』の構成は、
冒頭に朔太郎による自序「散文詩について――序に代へて」、
「散文詩」と「抒情詩」の二部構成からなる本文、
「散文詩自註」と題された附録を巻末に付したものとなっている。
このうち「散文詩」は既刊アフォリズム集『新しき欲情』
(大正十一年(一九二二))と
『虚妄の正義』(昭和四年(一九二九))と
『絶望の逃走』(昭和十年(一九三五))から再録したものに加え、
六篇の未発表作品を収める。
「抒情詩」は全篇既刊詩集からの採録である。
ただし、『月に吠える』を除くものである。
未詳24研究室から引用。