真駒内花火大会
札幌の知り合いとメールした際、相手の方から7月17日に真駒内の
セキスイハイムスタジアムで花火大会開催にこぎつけたことを
聞きました。

「やるんだ」と感心したと同時に資金はどうした?と考えてしまいましたが、
ま、とにかく、これは見に行かなくてはと思い、休暇の調整をお願いしました。
20代の清楚な女性ですが、とにかくバイタリティのある方。
近くのカフェ「ピンチョス」で紹介され、若手経営者の勉強会などにも、連れて
行っていただき、いろんな方々を紹介していただきました。
私も今は札幌を離れてしまってますが、その方々の札幌を愛する気持ちの
強さには感心というか羨ましさを持ったものです。
久々に札幌に行きます。
会いたい人や飲みに行きたい店を周って、少しリフレッシュできるでしょう。
セキスイハイムスタジアムで花火大会開催にこぎつけたことを
聞きました。

「やるんだ」と感心したと同時に資金はどうした?と考えてしまいましたが、
ま、とにかく、これは見に行かなくてはと思い、休暇の調整をお願いしました。
20代の清楚な女性ですが、とにかくバイタリティのある方。
近くのカフェ「ピンチョス」で紹介され、若手経営者の勉強会などにも、連れて
行っていただき、いろんな方々を紹介していただきました。
私も今は札幌を離れてしまってますが、その方々の札幌を愛する気持ちの
強さには感心というか羨ましさを持ったものです。
久々に札幌に行きます。
会いたい人や飲みに行きたい店を周って、少しリフレッシュできるでしょう。
苫小牧 碇泊中
苫小牧沖に碇泊中です。
さて、南三陸に再度向かう段取りもつき、下船を待つばかりでしたが、
急遽自衛隊300名乗船が決まり、下船が先延ばしに。
また、知り合いから今月末に地震がくるかもしれないから、よく考えてから
仙台に来てとの連絡。何でも東北大の知り合いの研究者が言っていたというんですが、
はずれてくれる事を願いながら万が一のことも考えて複数の移動ルートの再探索。
夜の苫小牧沖はまだ風も冷たいですが、夜景がきれいです。
さて、南三陸に再度向かう段取りもつき、下船を待つばかりでしたが、
急遽自衛隊300名乗船が決まり、下船が先延ばしに。
また、知り合いから今月末に地震がくるかもしれないから、よく考えてから
仙台に来てとの連絡。何でも東北大の知り合いの研究者が言っていたというんですが、
はずれてくれる事を願いながら万が一のことも考えて複数の移動ルートの再探索。
夜の苫小牧沖はまだ風も冷たいですが、夜景がきれいです。
give and given ~与えよ、さらば与えられん~
今朝明け方の皆既月食は残念ながら見れず。
ですが、日本海に浮かぶ今日深夜の見事な満月。

明日17日は尊敬する上司の一周忌。今宵は一人デッキで思い出に耽っています。
2月に小笠原から帰ってすぐお見舞いに行ったときは非常に元気で、
7月に立山に行く前に病院に寄ったのが6月12日。
酸素マスクをつけて苦しそうな中、私の顔を見るなり、「おー!」と言って
手を伸ばされました。その時の感触は今でも忘れられません。
「立山から帰ったら就職することにしました」と言ったら、
「おー、そうか。俺も7月には必ず復帰するからよ」と
言葉を交わしたのが最後でした。4日後の6月17日、元上司や友人からの
メールや電話で訃報を知り、すぐに東京に向かいました。
葬儀で奥さんや息子さんから「先日はありがとうございました」と
頭を下げられました。
本当は誰にも会わせたくなかったようです。アポなしで見舞いに行って、
最後に会えたのはある意味よかったのかなと今は思っています。
サラリーマン時代の京都在住時代、営業職から内勤スタッフになって日々肉体的にも
精神的にもハードだった頃の上司でしたが、とにかく明るく楽しい方でした。
出張で商談に行った帰りに大丸でチューハイとつまみを買って新幹線の中で飲みながら
いろいろアドバイスをしてくれたり、名古屋・札幌に転勤後もいろいろと励まして頂いたりと、
今の自分のベースを作ってくれた方の一人です。
京都円山公園の花見、鴨川でのバーベキュー、忘年会、新年会、その他諸々。
いま思い出すのは楽しかった日々ばかり。
~楽しもうと思ったら、人を楽しませようとすればいいんだよぉ。
嫌な仕事だと思っても楽しそうに笑ってやっていれば、いつかそれも
自分に返ってくるもんだと思うぞぉ。支社の仕事をお前が代わりにやっちゃだめだよぉ。
支社がスムーズに業務が動けるようにするのが内勤スタッフの役目なんだからさぁ、
それがスタッフとしてのやさしさ、だと思うけどなぁ。
俺は、いつかお前とはまた仕事したいと思ってるぞぉ。~
江頭さん向こうでも元気でしょうかね?
さぁ明日もがんばろう!
ですが、日本海に浮かぶ今日深夜の見事な満月。

明日17日は尊敬する上司の一周忌。今宵は一人デッキで思い出に耽っています。
2月に小笠原から帰ってすぐお見舞いに行ったときは非常に元気で、
7月に立山に行く前に病院に寄ったのが6月12日。
酸素マスクをつけて苦しそうな中、私の顔を見るなり、「おー!」と言って
手を伸ばされました。その時の感触は今でも忘れられません。
「立山から帰ったら就職することにしました」と言ったら、
「おー、そうか。俺も7月には必ず復帰するからよ」と
言葉を交わしたのが最後でした。4日後の6月17日、元上司や友人からの
メールや電話で訃報を知り、すぐに東京に向かいました。
葬儀で奥さんや息子さんから「先日はありがとうございました」と
頭を下げられました。
本当は誰にも会わせたくなかったようです。アポなしで見舞いに行って、
最後に会えたのはある意味よかったのかなと今は思っています。
サラリーマン時代の京都在住時代、営業職から内勤スタッフになって日々肉体的にも
精神的にもハードだった頃の上司でしたが、とにかく明るく楽しい方でした。
出張で商談に行った帰りに大丸でチューハイとつまみを買って新幹線の中で飲みながら
いろいろアドバイスをしてくれたり、名古屋・札幌に転勤後もいろいろと励まして頂いたりと、
今の自分のベースを作ってくれた方の一人です。
京都円山公園の花見、鴨川でのバーベキュー、忘年会、新年会、その他諸々。
いま思い出すのは楽しかった日々ばかり。
~楽しもうと思ったら、人を楽しませようとすればいいんだよぉ。
嫌な仕事だと思っても楽しそうに笑ってやっていれば、いつかそれも
自分に返ってくるもんだと思うぞぉ。支社の仕事をお前が代わりにやっちゃだめだよぉ。
支社がスムーズに業務が動けるようにするのが内勤スタッフの役目なんだからさぁ、
それがスタッフとしてのやさしさ、だと思うけどなぁ。
俺は、いつかお前とはまた仕事したいと思ってるぞぉ。~
江頭さん向こうでも元気でしょうかね?
さぁ明日もがんばろう!