先日、図書館で見つけたこの本↓を紹介する。


三井健聖の野球生活-toshitaikou


横尾弘一 著「都市対抗野球に明日はあるか」ダイヤモンド社(2009年8月20日発行)


著者は社会人野球雑誌「グランドスラム」 の編集・執筆に携わっている人物だ。



第1章では、1878(明治11)年に結成された新橋アスレチッククラブに始まる社会人野球の歴史をひも解き、その発展に尽力し殿堂入りもしている小川正太郎 氏の手記を載せている。


それによると、1927(昭和2)年に始まった都市対抗野球大会において偽名を使って二重登録する選手の問題があったことから、戦前より全国的組織の結成が望まれており、1949(昭和24)年、毎日新聞社の援助によって「日本社会人野球協会」(現「日本野球連盟」)が発足した。


しかし、「社会人野球は仕事をしないで野球ばかりしている。セミプロではないか。」との誹りも少なくなく、理事だった小川氏はこの屈辱をバネに協会を日本一の団体にすることを誓うのである。


以下、小川氏が協会発足10年目に記した手記の後半部分を抜粋する。


社会人の特色は仕事の余暇に野球をすることである。野球をして各人の親睦を計ることは勿論であるが、野球を愉しむのは明日の仕事の原動力を養うことにある。野球をする者、見る者等しく毎日愉しく仕事が出来るようなプレー、応援をするのである。


会社チームが夏の都市対抗野球に出場すると、新聞紙上その他で大々的に試合経過を報じ、それが会社の宣伝だと見る人が多い。しかしこれは宣伝するための野球ではなく試合に出た結果から来るものである。我々の野球はレクリエーションの野球であり、社員の士気を鼓舞し、会社を明るくするための野球である。社長も重役も事務員も家族も心を一にして応援する姿は尊いもので、そこにはなんらやましい邪念など毛頭ない。社会が一致団結するに最も相応しいものでそれがあすの働く原動力となれば、これに超したことはない。


これが社会人野球本来の姿である。協会では野球を宣伝に使うことを厳禁しているし、また働かない選手の登録は認めないことになっている。十年たった今、各会社も協会の主旨をよくわかって頂きわれわれ関係者に一層力強さを与えてくれている。十一年目は心を新たにして三百有余のチームと共に正しい社会人野球をあくまでものばし、名実共に日本一の団体にしようではないか。」



「現在の社会人野球にある数々の問題点-その根本にあるのは“社会人野球本来の姿”との乖離である」と、この本を読んで思った。


その証拠に、本書で“21世紀のチーム運営”として取り上げられ、ブログ「見物人の論理」 の論評でも“数少ない「明日」を感じさせる事例”とされているのが、この原点に帰った運営を実践する熊本ゴールデンラークス (スーパー「鮮ど市場」が運営)なのだ。



「それから五十年後の社会人野球は、そして都市対抗は、小川にどう見えているのだろうか。そうした想像をしてみることも大切だろう。」


これは第1章を締めくくる著者の言葉だが、何とも歯切れが悪い。


「現在の社会人野球は私たちが目指した正しい社会人野球の姿とはかけ離れている!これでは都市対抗野球に明日はない!」


小川氏はこう言うに違いないのだから。



次回につづく。。。