直感が強くなるとHSPも強くなる | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

HSP、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシィティヴ・パァースン)、

 

“とても繊細な人“と訳されますが、そのテスト4項目に当てはまるので、

 

どうやら間違いないようです。

 

 

 

 

しかし大きなショックを受けるような出来事については、意外と強いところもあって、

 

逆に小さなことほど気になってしまい、落ち込んだりして

 

何かの監獄に囚われていたような気がするのです。

 

 

 

 

20代で劇症肝炎の発症、入退院を繰り返し、

 

30代で仕事を通じて知り合ったE氏からの怨恨で悪評を流布されたことで

 

世間から噂によるハラスメントで人間性を疑われてきたことなど、

 

私に与えられた障害、課題、お試しにより、為すべきことが何なのかに対して

 

苦悩し、生きにくさを感じてきました。

 

 

 

 

 

 

世間と言いましたが、よく俯瞰して見ると、こちらが知らない人たちの

 

そうしたハラスメントであっても、私にハラスメント仕掛けてきている

 

K会というコミュニティに拘わった人たちの、一部のそうした噂を広めた仲間内だけで

 

行われていることに気づきます。

 

 

 

 

そうした悪口や悪評で共通する言い回しがあり、「みんな言っている」というもので、

 

その「みんな」というのは、人を貶めるためやその人の思い込んでいる

 

自分の正義感を正当化するため、または罪悪感から逃れるため、

 

言うなれば「赤信号みんなで渡れば恐くない」の類なのです。

 

 

 

 

 

ネットで匿名にして他人を叩くのと同じです。

 

 

 

 

 

レッテル張りをした「弱い」とみなした対象に対して、人としての尊厳、人権を

 

踏みつけるレベルの低い人たちであり、区別ではなく差別をしていることに気づかない、

 

その人の不満や不遇、またはその人が持っていないものへの嫉妬や妬みで、

 

論理のすり替えでもあり、集団意識での弱い者いじめです。

 

 

 

 

 

だから理不尽さを感じるのですが、お前が悪いと責任をすべて押し付ける手法です。

 

 

 

 

悲しいことに人間社会では大きなところでは人種、種族など世界的に見ても

 

差別があるのは否定できません。

 

 

 

 

 

それが共通認識になると、学校や仲間内での虐め、家族単位だと田舎でよくある

 

村八分やネットで見られるように炎上、引いては社会的に抹殺しようという

 

心理が働きます。

 

 

 

 

これは見方を変えれば、人としての自尊心を、他より上にしたいという

 

欲望の表れでもあります。

 

 

 

 

貶める意志を持って計画したそういった闇は、世間的に現世で暴かれるかどうかは

 

別にして、魂へ帰るときに、すべてが暴かれると

 

高次の存在は教えてくれるのです。

 

 

 

 

人が思う「良い、悪い」を飛び越えて、自分が何をしたかの責任は、

 

選択した自分の魂が取るのです。

 

 

 

 

 

だから高次の存在は、仕返しや復讐といった相手に合わせたレベルの意識ではなく、

 

相手を許し、自分を赦すことが大切であるとメッセージを送ってきたのです。

 

 

 

そこまで本当に達観できるかというと、なかなかそうはいかない心の葛藤があるのを、

 

過去の出来事がトラウマとなって出て来て、感情が揺さぶられる時があるのが

 

普通のことだと私は考えます。

 

 

 

辛い苦しいと感じる経験があったのは、逆に真の意味で

 

楽しい、嬉しいを知るためであったと、ある時思えたのです。

 

 

 

 

それは時が解決してくれるものなのか、思い出の記憶として俯瞰できるところまで

 

経験することなのかなとも思います。

 

 

 

 

許せない出来事、許せない人に怒りと悲しみを覚えるものが、

 

或る時、許せるようになる、ということは自分を赦せると思え

 

過去の出来事がとても、ちっぽけな、つまらないことのように

 

度々感じてきたことでもあります。

 

 

 

 

 

光に触れる、瞑想やワークをする、神床をお祀りしたり、庭で先祖供養をしたり、

 

神社仏閣を巡るのも、そのうちの一つの行動ではないかと、

 

本当のところは分からないながらも、そう感じ、信じているのです。

 

 

 

 

 

真に信じるのは自分自身で、それによって行動が変わり、それを楽しめていれば、

 

幸せなのだと思うこともあったりします。

 

 

人は誰でも、魂を持つものは誰でも、といった方が良いのかもしれません、

 

人、あらゆる生きとし生けるものは幸せになりたいという願いを持って

 

この世に現存しているという慈愛、それを仏心、神の意思と言ったりしますが、

 

言い方を変えればネガティブな闇をポジティブな光に変え、カルマをダルマに

 

変えるだけの光は魂が持っていて、気づいていないのは自分だけだというのです。

 

 

 

 

 

誰かが見ていなくても神や宇宙は、どう行動するか、つまりどういった選択肢を選ぶか、

 

すべてを見ているのをいつも感じます。

 

 

 

 

しかし今、俯瞰して思うことは、生きてきた経験で、人たちとの係わり、

 

どう生きていけばいいかを学んできたような気もしますが、

 

私という自己、魂を成長させるためのものであったと思えるのです。

 

 

 

 

 

 

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。

 

 

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